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イスラエルの「嫌われても強い理由」③ ~バビロン作戦~

 

「この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑顔を聞き」(ヒュースケン 江戸時代)

 

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前回の記事で、イスラエルが現在、世界から「嫌われている」理由として、パレスチナの分離壁の建設をあげました。

でも、イスラエルは過去にも、「バビロン作戦(イラク原子炉爆撃事件)」という世界を仰天させるような軍事行動を起こして、このときも世界中から大きな非難を浴びています。

 

今回の記事は、この「バビロン作戦」から始めます。

1981年当時、イラクはフセイン大統領のもと、原子力開発を行っていました。
イラクとしては、これは、「平和利用のため」だと主張していたのですが、イスラエルはこれを信じません。

 

まあ、「信じろ」と言う方がムリかもしれませんけど。

 

イスラエルは、この動きを「対イスラエル」をと考えました。

 

「イスラエルのすぐ近くにある反イスラエル国家が、核兵器を手に入れる」ということは、イスラエルにとって大きな脅威になります。
国の存亡にかかわる重大事です。

 

これは、キューバ危機のときのアメリカに似ていますね。 このときアメリは、キューバを海上封鎖してこの事態に対応しましたが、イスラエルは、思い切ったことをしています。

 

というか、とんでもないことです。

 

それがバビロン作戦で、このとき、イスラエルはイラクの原子炉を突然、一方的に空爆して破壊してしてしまいました。
以下、ウィキペディアからの引用になります。

「イラク原子炉爆撃事件(イラクげんしろばくげきじけん)は、イスラエル 空軍機がイラク のタムーズにあった原子力 施設を、バビロン作戦(別名オペラ作戦)の作戦名で1981年6月7日に攻撃した武力行使事件である。これはイラクが核兵器を持つ危険性があるとして、イスラエルが「先制的自衛 」目的を理由にイラクに先制攻撃を行ったものである」

 

ちょっと信じられないことですね。
日本だったら、考えられません。

日本の近くの国が、「平和のため」に原子力施設をつくろうとする。

日本はそれを信じない。
「核兵器を開発して日本の脅威になるかもしれない」と考える。↓
「先制的自衛」として、その国に戦闘機を送ってその施設を爆撃してしまう。

 

もう、小説の世界でしかありえないことです。
このイスラエルの「暴挙」には当然、ヨーロッパを中心として世界中の国が非難の声をあげました。

 

「この攻撃に対し国際連合安全保障理事会決議487がなされ、イスラエルは非難された(ウィキペディア)」

 

先ほどのパレスチナ分離壁の建設やこのバビロン作戦のときもそうですけど、これだけ国際的な批判を受けながらも、イスラエルには、それに動じる気配がありません。

 

ある意味すごいです。
世界から、どれほど嫌われたり批判されたりしても、それをまったく気にしないようなイスラエルの「打たれ強さ」に感心してしまいます。

 

このイスラエルの態度は、一見するとおそろしく傲慢(ごうまん)ですね。
でも、その根底にあるのは、落合信彦氏の記述にある「極度の怯え」かもしれません。

 

「数千年にわたって負け続け迫害され続けてきたユダヤの民たちの『もう絶対に国を失いたくない』という激しい思いの結果であり、極度の怯(おび)えに裏打ちされた強さだった
(憎しみの大地 落合信彦)」

 

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日本人の考え方や価値観を知る。「菊と刀」から見る太平洋戦争中の日本人

 

「日神すな わち天照大神がながくその伝統を伝えて君臨している。わが国だけにこのことであって他国にはこのような例はない」 (北畠親房 「神皇正統記」 鎌倉時代

 

以前の記事 で、ルーズベネディクトの「菊と刀」から引用をしました。

「ウィキペディア」によれば、これはこんな本です。

 

「日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じて、日本文化の解明を試みた。『菊と刀』はアメリカ文化人類学史上最初の日本文化論である」

 

ザビエルやフロイスの記録は、彼らが日本で見て聞いて感じたことを記した個人的な記録でした。

 

これに対して、この「菊と刀」は、アメリカ人が本格的に日本人を理解しようと試みた本になります。

 

日本人の行動は、どのような考え方にもとづくのか?その考え方はどのようにして生まれたか?といったことを、アメリカ人の文化人類学者であったベネディクトが考察しています。
今回は、この本から、戦時中の日本人の行動や考え方を紹介したいと思います。

 

なお、この本には、以下のような批判(ウィキペディアから)がありますので、それも考慮して読んでもらえればと思います。

「日本文化が西洋文化とは対極の位置に置かれていることに、批判の目が向けられている。また、日本の文化を外的な批判を意識する「恥の文化」と決め付け、欧米の文化を内的な良心を意識する「罪の文化」と定義したことへの批判もある。」

以下は、菊と刀 (講談社学術文庫)」からの抜粋になります。

 

・私が日本人といっしょに仕事をしていた時に、彼らの使用する語句や観念の多くは最初は不可解に思われたが、やがてそれらは重要な含蓄をもっており、何百年もの歳月を経た感情のこもったものであることがわかってきた。

徳と不徳とは西欧人の考えているものとまるで 違ったものであった。その体系は全く独特のものであった。それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。
それは日本的であったー日本の長所も短所も含めて。

「日本人の精神主義について」

 

・日本はまたその勝利の望みを、アメリカで一般に考えられていたものとは異なった根底の上に置いていた。日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と叫んでいた。
なるほど、アメリカは大国である、軍備もまさっている、しかしそれがどうしたというのだ、そんなことは皆はじめから予想されていたことであり、われわれははじめから問題にしていないのだ、と彼らは言っていた。

 

・まだ日本が戦争に勝っていた時でさえ、日本の政治家も、大本営も、くり返しくり返し、この戦争は軍備と軍備との戦いではない、アメリカ人の物に対する信仰と、日本人の精神に対する信仰との戦いだ、と言っていた。
・しかしながら軍艦や大砲は不滅の「日本精神」の単なる外面的なあらわれにすぎなかった。それらは象徴であった、あたかも武士の刀がその勇気の象徴であったように。

 

・あのちっぽけな飛行機を駆りわれわれの軍艦目がけて体当り自爆をする操縦士たちは、精神の物質に対する優越をものがたる無尽蔵の教訓とされた。これらの操縦士たちは「カミカゼ特攻隊」と名づけられた。

「カミカゼ」というのはあの、十三世紀にジンギス・カンの来寇の時に。その輸送船を蹴散らし転覆させて日本 を救った神風の意味である。

 

*日本人の「精神力は、物理的不利に打ち勝つ」という考えは、今の日本でもあると思います。
軍国主義的な意味でなければ、この言葉をすべて否定することもないですけどね。

 

「降伏しない日本人について」

 

・日本人俘虜の証言はこれらの人の説を裏書きした。西欧の兵士たちと異なり、日本の俘虜たちは、捕えられた場合に、どういうことを言うべきか、またどういうことについては沈黙をまもるべきか、ということを教えられていなかった。

それでいろいろな問題に関する彼らの返答は、いちじるしく統制を欠いたものであった。このように捕虜になった時の訓練ができていないのは、いうまでもなく日本の無降伏主義に基因するものであった。

 

・戦争中、日本軍には負傷者を砲火の中から救い出し、応急処置を施す訓練された救護班がなかった。

 

・日本軍はしばしば病院のある地点から退却せねばならないはめに陥った。まだ時機を逸しない間に、あらかじめ傷病兵を後送するという慣例がなかった。

 

・その処置というのはしばしば、主任軍医が退去に先立って入院患者を射殺するか、あるいは患者自ら手榴弾で自分の生命を絶つことであった。

 

・降伏を禁じる軍律がありはしたのであるが、その結果、例えばビルマ会戦のさいの俘虜と戦死者との割合は、一四二対一七、一六六名、すなわち一対一二0の比率であった。

*この「一対一二0の比率」がどれだけ異常な比率であるかは、以下を見れば分かります。

・西欧諸国の軍隊では、戦死者がその全兵力の四分の一ないし三分の一に達した時は、その部隊は抵抗を断念して手をあげるのが自明の理とされている。投降者と戦死者との比は、ほぼ四対一である。

 

 

・「降伏の恥辱は日本人の意識の中に深く烙きつけられていた。彼らはわれわれの戦争慣例とは相容れない行動を当然のこととして認めていた。そしてわれわれの行動はまた彼らにとって、ちょうど同じように不可解であった。

 

彼らがアメリカ人俘虜がその名前を本国政府に報告して、自分たちの生きていることを家族に知らせてほしいと 依頼したことを、さもさも呆れはてたこと、見下げたこととして噂していた。

バタアン半島でアメリカ軍が降伏したことも、少なくても一般兵卒には意外であった。彼らはアメリカ軍が日本流に最後まで戦い抜くと思い込んでいたからである」

*このアメリカ軍の予想外の大量降伏が、「バターン死の行進」につながってしまいました。

 

「大正デモクラシー」

 

・「彼らはあの第一次世界大戦の後、猫も杓子(しゃくし)も『デモクラシー』を口にした時代、軍人が東京の市中に出かける時には、平服に着換えて行った方が賢明だったくらいに、軍国主義が不人気だった時代でも」

 

*第一次世界大戦後から太平洋戦争が終わるまで、日本がずっと「軍国主義化していた」と、思っていませんでしたか?この「大正デモクラシー」の時代は、軍国主義よりも民主主義の方が人気があったようですね。

軍人が軍服を着て東京を歩くことがはばかれたような時代だったのですから。

 

「日本人と天皇」

・「しかしながら、天皇は、彼らにとっては切り離すことができないものであった。『天皇のない日本は考えられない』。『日本の天皇は日本国民の象徴であり、国民の宗教生活の中心である。天皇は超宗教的な対象である』。たとえ日本が戦いに負けたところで、敗戦の責任は天皇にはない。」

 

・天皇が命令する限り、日本人は「竹槍を揮(と)って」死ぬまで戦うであろうが、それと同じように、もしそれが 勅命であるならば、彼らはおとなしく敗戦と占領とを甘受するであろう、という俘虜たちの主張は本当だろうか。
その主張は正しかったと言える。日本を占領したアメリカ軍に組織的抵抗を試みた日本人はいなかった。玉音放送を聞いた日本人は、もうそれができなかっただろう。

 

「アメリカについて」

・平等はアメリカ人の、よりよき世界の希望の、最高にして最も道徳的 な基礎である。それはわれわれには、圧政と、干渉と、欲せざる重 荷からの自由を意味する。それは法律の前の平等と、各人が自らの境遇を改善する権利とを意味する。

それは今日の世界において組織的な形で実現されている基本的人権の根底である。

 

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アメリカの価値観や文化の象徴!?② 「アーミッシュ」

 

「日本人は世界でも際立つ興味深い民族で、しかも感謝の念は特定の個人にだけなく日本全体に強く感じます (シドモア 明治時代)」 「シドモア日本紀行 講談社学術文庫」

 

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今回の記事では、「ピルグリム=ファーザーズ」と「メイフラワー号」という言葉が出ます。
アメリカやヨーロッパでは有名な言葉で、もう、知っていて当たり前の常識にもなっています。
ご存じなかった方は、知っておくといいですよ。
まずは、確認です。
アーミッシュとは、このような人でしたね。

「アーミッシュは十八世紀前半、宗教的な迫害を逃れてヨーロッパからアメリカに移り住んだ人たちを起源としている。

彼らは、電気や車、電話などの文明利器を使わず、同じ身なりをし、農業中心の自給自足の生活を旨として、日常生活のさまざまな場面で、互いに支え合い、助け合いながら、一般社会から隔絶して暮らしている。

この一般社会からの隔絶は、『あなた方はこの世にならってはいけない。

むしろ心を新たにすることによって、自分を変え、何が神の御心か、何が善で、何が神に喜ばれ、かつ、全きかをわきまえよ(ローマ人への手紙 12:2)』という聖書の一節に基づくものであり、アーミッシュの考え方の根幹を成すものである(「アーミッシュ」 堤純子)」

では、前回の続きです。

このアメリカの一画でひそかに生活していたアーミッシュが、2006年に次のような事件が起きて、世界の注目を集めることになりました。

 

 「トラック運転手の男が、突然銃をもって学校に押し入り、女生徒たち十人を閉じ込めて彼女たちを撃った。教師の通報で警官隊が学校を包囲し、犯人の男はその場で自殺(アーミッシュ」への旅 菅原千代志)」

 

不幸なことですが、銃を持って学校に侵入し、乱射して多数の人を殺害するといった事件は、今でもアメリカではよくあります。
去年の10月にも、オレゴン州の大学で銃の乱射事件が起きて10人が死亡しています。
こうした事件が起きても、アメリカの社会から銃はなくなりませんね。

 

むしろ、こうした事件を受けて、護身用に積極的に銃を持つ動きもあります。
なかなか、秀吉の「刀狩り」のような武装解除は、難しそうです。
ただ、このアーミッシュの乱射事件は、その後が変わっていました。

 

「アメリカのメディアは騒然とした。それは銃撃事件など珍しくもないアメリカ社会であって、絶対非暴力のアーミッシュ、さらに女の子が銃という暴力の犠牲になったという衝撃であった。

さらに人々を驚かせたのは、犠牲者の家族が犯人の家族を訪れ、赦(ゆる)したばかりか、同情の手を差しのべ、娘たちの葬式に招いたということだった。

犯人の葬儀に参列したのも、非アーミッシュよりアーミッシュの人数が多かった。世間の常識では考えられない行動だ(アーミッシュ」への旅 菅原千代志)」

 

このアーミッシュのあまりに寛大な「赦(ゆる)し」こそが、まさに彼らがアーミッシュであるという理由でもあります。

 

「アーミッシュは人間が人間を裁くことを拒み、自分たちの敵にさえも助けの手をのばす人たちである(同書)」

 

そして、この常識では考えられないような「赦し」の背後には、彼らの篤(あつ)い信仰があります。
以下は、「アーミッシュ 堤純子未知谷」からの抜粋になります。

 

・「主よ。私の同朋が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦せばよいでしょうか。七度までですか」と問うペテロに「私はおまえに7度を70倍するまでと言おう(マタイによる福音書 第18章21、22節)」

・また、聖書にはイエスが、自分を十字架に打ちつけた役人に対して「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのかについてよくわかっていないのです(ルカによる福音書 第23章34節)」と彼らを赦し、神に彼らへの赦しを乞うている場面が描かれている

・「『ローマの信徒への手紙』第12章17~21節には『復讐(ふくしゅう)してはならない。復讐は神に任せよ。むしろ敵が植飢えていれば食わせ、乾いていれば飲ませよ。それは燃える炭火を彼の頭に積むことになるからだ。悪に打ち負かされることなく、善をもって悪を打ちましなさい』」

・アーミッシュは、このような聖書の言葉に従い、どような場合でも赦しを行うと同時に、その大切さを子どもたちに説いて聞かせている。

アーミッシュの人たちも、自分の子どもが殺されたのだから、言葉にならないような怒りや悲しみがこみ上げてきたはずです。
自分の子どもを殺されても、犯人の家族を訪れて赦(ゆる)し、娘たちの葬式に招くということ、さらには、犯人の葬儀に参列したということは、私にはちょっと信じられない気がします。

 

「人を殺した人をすぐに赦してしまえば、殺人はなくならないのでは?」とを考えてしまいます。
けれど、他人の目ではなく、ただ神の教えから判断することがアーミッシュという人たちなのだろうと思います。

 

個人的な感情を抑えて、自身の信仰を守ることを優先することで、驚くほど寛大な「赦し」という行為ができたのだという気がします。
前の記事で登場したアメリカ人から、このアーミッシュの人たちが税金を払わずに生活しているという話を聞いたのは、もう5年くらい前になります。

 

今でも、税金免除をされて18世紀の生活をしているのかは、分かりません。

 

その彼が言った「アメリカ的」というのは、アメリカ人でさえ驚くほど信仰を守り続けているアーミッシュという人たちのことではありません。

 
税金を免除するということを含めて、そうした人たちの信仰の自由を認めていることが、「アメリカ的」であり、それがアメリカという国の素晴らしさだと言っていました。

 

もともと、アメリカという国が生まれたきっかけは、「信仰の自由を守りたい」という人たちの願いからだった。
そうした人たちの中には、次のような、「ピルグリム=ファーザーズ」がいます。

 

「イギリスではピルグリムたちは、罰を受けることなしに自分の信仰信仰を貫くことができなかったので、だれにも邪魔されない場所を求めていました。彼らはバージニアへ向けて出港したのです(アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書 Japan Book)」

 

彼らが、ピルグリム=ファーザーズで、イギリスにいたときは、国王ジェームズ一世から弾圧を受けて苦しい生活を強いられていました。

 

彼らは、宗教的自由を求めてアメリカ大陸に渡って来たのです。
そして、彼らを乗せた船が「メイフラワー号」です。
これは、アメリカでは小学生が必ず習うことで、アメリカ人ならほぼ誰でも知っています。

 

この「宗教的自由を求める」ということは、アメリカ建国の精神ともいえます。
この考えに従えば、アメリカとしては、税金を払うか払わないかといった現在のアメリカ社会の制度よりも、アーミッシュの信仰の自由を認めることを優先しないといけなくなります。

 

アーミッシュという人々の存在を認めるということは、確かにアメリカ人の彼が言うように、とても「アメリカン(アメリカ的)」だと思います。

 

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アメリカの価値観や文化の象徴!?① 「アーミッシュ」

 

「この町でもっとも印象的なのは(そしてわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった。(オズボーン 幕末)」

 

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「あなたが思うアメリカン(アメリカ的)なものを教えてください」と聞かれたら、どう答えるでしょうか?

 

自由の女神、ラスベガス、ミッキーマウス、スターバックス、タイムズ・スクウェアなどが頭に浮かんでくるのではないかと思います。

 

アメリカは、日本で最も人気がある国の一つで、日本人にもおなじなものがたくさんあります。
「いろいろ出て来るけれど、その中のどれがアメリカ的なものか」ということを選ぶことが、難しいかもしれませんね。

 

今回の記事では、こうしたものではなく、日本人にはほとんど知られていないけれど、とても「アメリカ的なこと」を紹介したいと思います。
以前、神と結んだ契約を守るために、シリア人に殺されることを選選んだユダヤ人の話を書きました。

この記事を書いていたとき、ふと、江戸時代の「踏み絵」のことが頭に浮かんできました。

 

「踏み絵」
「キリシタン摘発のため踏ませた聖画像。長崎で1629年に開始。のちに真鍮製のキリスト・マリア像となる。長崎奉行が管理。これを踏む行為が絵踏で、九州北部を中心に実施された(日本史用語集 山川出版)」

 

戦国時代に日本に伝わったキリスト教は、カトリックでした。
カトリック教徒だったから、信者は聖画を踏むことができなかったということはあると思います。

 

もし、カトリックではなくてプロテスタントが日本に伝わっていたら、どうだろうか?
案外、簡単に踏むことができたのかもしれないなあ。
ということを、考えていました。
この踏み絵を迫られたとき、自分の命よりも信仰(神との契約)を守ることを選んだ日本人キリスト教徒が実際にいました。残酷で悲惨なことには間違いありません。

 

ですが、彼らにしてみたら、信仰を捨てる方が苦しいことで、信仰を守り続けたのだから、神から「永遠の命」を得られると思ったでしょう。

 

このとき、死を選んだキリシタンは、先ほどのユダヤ人に通じるものがあると思います。
信仰を守ってシリア人に殺されることを選んだユダヤ人です。
現代のアメリカ人やイギリス人でも、「死んでも神との契約を守る」という、そのユダヤ人の考え方を理解することはできるだろうと思います。

 

けれど、実際に自分の命を失ってまで信仰を守ることを選ぶ人というのは、ほとんどいないでしょう。
もちろん、そう迫られるような状況が生まれてはいけないのですけど!

 

あってはいけないことですが、もし、そうなったときに、命より信仰を選ぶような人たちには、心当たりがあります。
「あの人たちなら、ひょっとして」と思ってしまうような人たちがアメリカに住んでいます。

 

前にアメリカ人の友人から、「今のアメリカでは、こんな人たちもいるんだ」と、教えてもらった「アーミッシュ」と呼ばれる人たちです。

 

アメリカのペンシルヴァニア州に住んでいる彼らは、一般のアメリカ人も驚くほど信心深いキリスト教徒です。
そして、アメリカ人の彼が言うには、「アメリカン(アメリカ的)な」存在でもあるといいます。
そのアーミッシュとは、このような人たちです。

 

 「アーミッシュは十八世紀前半、宗教的な迫害を逃れてヨーロッパからアメリカに移り住んだ人たちを起源としている。

彼らは、電気や車、電話などの文明利器を使わず、同じ身なりをし、農業中心の自給自足の生活を旨として、日常生活のさまざまな場面で、互いに支え合い、助け合いながら、一般社会から隔絶して暮らしている。

この一般社会からの隔絶は、『あなた方はこの世にならってはいけない。

むしろ心を新たにすることによって、自分を変え、何が神の御心か、何が善で、何が神に喜ばれ、かつ、全きかをわきまえよ(ローマ人への手紙 12:2)』という聖書の一節に基づくものであり、アーミッシュの考え方の根幹を成すものである(「アーミッシュ」 堤純子)」

 

友人から聞いた話では、彼らは、十八世紀の生活様式を厳しく守って生活しているとのことでした。
そこまでなら、まあ、理解できます。
よく分からないのが、ここです。

 

その時代、自分たちは、国に税金を払っていなかったからという理由で、今でもアメリカ合衆国に税金を払っていないというのです。

 

そして、アメリカ政府も、それが彼らの信仰だと認めていて、税金を免除しているらしいのです。

 

でも、もし、アーミッシュが「電気や車、電話などの文明利器を使う」といった現代的な生活をしたら、それは信仰を放棄したとみなされ、税金を徴収されることになるようです。

 

「信仰上の理由で税金を払いません」ということが認められるというのは、日本ではちょっと、信じられないですね。

 

ボクなら、「税金を払わない代わりに、江戸時代の生活をする」ということあれば、税金を払って21世紀の生活がいいですけど。

 

このアメリカの一画で、静かに生活していたアーミッシュが、
2006年に世界の注目を集めることになりました。
そのことを、次回、書いていきます。

 

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恵方巻のなかの日本の神、七福神と「障害者の神様(えびす)」

 

「この町でもっとも印象的なのは(そしてわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった。(オズボーン 幕末)」 「逝き日の面影 平凡社」

 

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明日は、恵方巻の日ですね。
食べますよ、ボクも。ええ、南南東に向かって、ガブリといってやりますよ。
ということで、今回は、日本の2月の伝統行事にもなりそうな、恵方巻について書きたいと思います。
とはいっても、恵方巻そのものではなく、恵方巻に関係する神様についてです。

 

では、どうぞ。
一般に、恵方巻には、7種類の具が使われるようです。

 

「太巻きには7種類の具材を使うとされる。その数は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだもので、福を巻き込むと意味付けされる (ウィキペディア)」

 

ということで、恵方巻の「福の力」は、この七福神に由来らしいですね。

今日は、この七福神に焦点を当てて、これから記事を書いていきます。
まず、七福神とは、「福徳の神とされて信仰される七人の神(大辞泉)」のことをいます。

 

 

具田的には、「大黒天、弁財天、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿(えびす)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)、布袋(ほてい)」の七人です。

大辞泉に「七人」とあるから、ここでも、「人」と書きます。
ところで、中国では「八福神」という考えがあります。
これが、日本の七福神の考え方に影響を与えたという話しを中国人のガイドから聞きました。

 

 

そういえば、七福神が描かれる絵は、七人が同じ船に乗っているものが多いですね。
神々が中国からやってきている様子をイメージしているのかもしれません。

 

ちなみに、中国人は、「八」という数字が好きです。大好きです。
「末広がり」の字で縁起がいいとされています。
日本でもそうですね。

 

けれど、中国人の「八好き」は想像を超えています。
北京オリンピックの開会式は、2008年8月8日午後8時に行われているのです!

東京オリンピックでは、さすがにここまでゲン担ぎはしないでしょうね。

 

さて、この「神7」の中で、日本の神様は、実は1人しかいないのです。どれだか分かりますか?

 

答えは、「恵比寿(えびす)」です。
七福神は、日本国籍の恵比寿と異国の神から構成されているのです。

 

「大黒天、弁財天、毘沙門天」はインドの神様、「福禄寿、寿老人、布袋」は中国の神様になっています。

この七福神はそれぞれ、このような神様です。
以下ぼ青色の文は、ウィキペディアからの引用になります。

 

恵比寿

イザナミ・イザナギの間に生まれた子供を祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神である。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となった。唯一日本由来の神である。
大黒天

インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主命の習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。

* 「マハーカーラ」の「マハー」は、前にブログで書いたサンスクリット語の「マハー」です。

 

「知ってましたか?あなたの周りのサンスクリット語~例えばカルピス~」
毘沙門天

元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。戦いの神であったが、仏教に取り入れられてから、福徳増進の神としてしだいに民衆に信仰される。日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。

 

弁才天(弁財天)

七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり選ばれた。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。
福禄寿

道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人。寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらす。

ちなみに、これが中国の神様の「福禄寿」です。

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画像は、↓から
【おっさんが3人?】中国の珍ホテル「天子大酒店」が奇妙すぎる

これは、天子大酒店というわりと有名なホテルです。話題にならない方がおかしいレベルですね。一度、泊まってみたいかも。

 

寿老人

道教の神で南極星の化身の南極老人。日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもある。
布袋

唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身ともいわれている。

 

この「神7」の中でも、「センター」というべき、「別格」の存在が恵比寿なのです。

次の文で出てくる「えべっさん」とは、この「恵比寿」をさします。

 

「えべっさんが福の神になったのである。七福神のなかでも、『恵比寿、大黒』と言われるように、代表格とされている。あるいは七福神の筆頭といってもよいだろう
(「曼荼羅の山 七福神の散歩道」 陳 舜臣)」

 

この七福神は、日本人の宗教観を表しているようにも見えます。
いろいろな宗教の神が同じ船にいて、ケンカもなく仲良くしているような感じで。

「和を以て貴しとなす」という、日本の精神そものかもしれません。

 

この七福神を見ていると、鎌倉時代の北畠親房の言葉を思い出します。

 

「天皇としてはどの宗派についても大体のことは知っていて、いずれをもないがしろにしないことが国家の乱れを未然に防ぐみちである」
「神皇正統記(慈円 北畠親房 日本の名著9 中央公論社)」

 

いろいろな神や教えがあってもいいのです。
そのことで争うことがいけないのです。
ということで、いいですよね?親房さん。

 

そうだとすれば、日本出身の神である恵比寿が、和の中心にいることも当然のことですね。

 

 

ところで、この恵比寿には、「もう一つの顔」があるのです。
この中国・インドの神々の中で、にこにこ笑っている恵比寿は、実は、「障害者」であると言われています。

 

「『日本書記によれば、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)は、天照大神、月神のつぎにうまれた子が三年たっても脚が立たないので、天磐櫲樟船(あまのいわくすぶね)にのせて、風のままに放ち棄てたとある(「曼荼羅の山 七福神の散歩道」 陳 舜臣)」

 

と、あるように、この日本書記に出てくる「三年たっても脚が立たなかった子」というのが、「ヒルコ」で、身体障害を持っていたと考えられいます。

 

それで、恵比寿とそのヒルコにどんな関係があるのか?
次を見てみましょう。

 

「舟にのせらて棄てられた子は、摂津国西宮(せっつのくににしのみや)に流れつき、そこにまつられて『えべっさん』になったという』(同書)」

 

この船に乗せられて沖に流されたヒルコが、西宮に流れ着いて、恵比寿になってといいます。

このヒルコと恵比寿の結びつきに関しては、ウィキペディアにも記述がありました。

 

「古来の日本の神道では、何か特別な能力を持った対象として、障 害者を畏敬したという。
例えば、日本神話で、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の2神の間に生まれた最初の子供である蛭子(ひるこ、ひるのことも呼ばれる)は、3歳になっても足が立たず舟に乗せられて海に捨てられたとされるが、中世以後になって、これを恵比寿(えびす)と呼んで信仰に結びついたとされる。」

 

 

恵比寿の絵が、米俵に座っている姿で描かれているのも、「立てない
から」ということが理由にあると聞いたことがあります。
「そういう説もある」という話ですけどね。

 

 

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外国人(ブルーノ・タウト)から見た、昭和の日本と日本人

 

「日本では、衣服の点では家屋と同様、地味な色合いが一般的で、中国でありふれているけばけばしい色や安ぴかのものが存在しないことにわれわれは気づいた。(オズボーン 江戸時代)」
「逝き日の面影 平凡社」

 

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今回の記事は、ドイツ人の「ブルーノ・タウト」という世界的建築家が見た昭和の日本を紹介します。
ブルーノ・タウトは1933年(昭和8年)に来日し、そのときの印象を「ニッポン 講談社学術文庫」という手記にまとめています。
今回は、ここから抜粋して、タウトが見た昭和の日本をご覧いただきたい。
その前に、この1933年(昭和8年)がどんな年だったかを、ウィキペディアから見てみましょう。

 

この年には、こんなことが起きていたんですね。

 
・ ヒトラーが独首相に就任、ナチス政権獲得

・作家小林多喜二が治安維持法違反容疑で逮捕される。東京・築地署に留置され特別高等警察の拷問により虐殺される。

・国際連盟が日本軍の満洲撤退勧告案を42対1で可決。松岡代表退場。
*このとき、唯一棄権した「1」の国がタイです。

・フランクリン・ルーズベルトが第32代米大統領に就任。ニューディール政策始動。

・齋藤首相、国際連盟脱退を伊勢神宮に報告

・大阪市営地下鉄御堂筋線の梅田(仮) – 心斎橋間が開通。日本初の公営地下鉄。

・ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のアニメーション映画『三匹の子ぶた』が公開される。

・五・一五事件被告に対する減刑嘆願書が7万通殺到

・東京有楽町に日本劇場開場

・自動車製造株式会社(後の日産自動車)設立

・ 東京ステーションホテルが鉄道省直営となり東京鉄道ホテルに改称・開業

 
タウトの訪日には、「ヒトラーが独首相に就任、ナチス政権獲得」というドイツでの出来事が関係しています。

当時、タウトはナチスから「要注意人物」として目をてけられていました。それで、命の危険を感じて日本に亡命してきたのです。

 
このタウト氏は、他の訪日外国人旅行者とはちょっと違って、日本をよく理解しているようです。

「私の日本における旅行は世界漫遊者のそれとは異なる。それどころか、私はほとんど専(もっぱ)ら日本人自身の手からのみあれこれと色々なものを見せて貰い、日本人と共に居り、日本人の家に住むという、恐らく外国人には滅多に恵まれないような、非常な幸運に恵まれている」

 

このように、日本を他の外国人以上に深く知ったタウトは、日本の文化に深く魅了されることになりました。
これからのタウトの文を読んでもらえば感じると思いますが、タウトは単に魅了されたのではなく、日本に心酔しているようにも感じられます。

 

中には、私から見ても、「褒めすぎでは?」と思ってしまうような言葉もあります。でも、これは、タウトが誰かに「言わされた言葉」でも「書かされた言葉」でもありません。

心に思ったことを、そのまま文章にしたものです。
*日本についての様々な印象

*能楽が、日本文化や日本の自然に対する理解を呼ぶものであることについて

 

「これらの事象について、ヨーロッパ人が言語や文献等で何十年にわたって研究してみたところで、それほど精緻な研究をせずとも既に血液の中にそれを持っている日本人の域に達することはとうてい出来っこない、と私は考えているのである」

 
「日本!それはヨーロッパ並びにヨーロッパ文明の支配する世界にとって日出る国である。さまざまの夢、奇蹟への期待、芸術文化と人間文化との連想がこの国に結びつけられている」

 

「そこには古来このような形式が驚くほど洗練され、なおかつ生命を保つ続け、現在の傾向にまったく合致すると思われるような形で建築その他の芸術に現れていたのである」

 

「ヨーロッパ人が多くの場合東洋という概念と結びつけて考えるような不潔さを持たぬ東洋的な情景を現出している。特に都会の内で、人々が各自の店先で道路を清掃し、絶えず水を打ち、なおその上、簾(すだれ)などで自動車の埃(ほこり)を防いでいるのは、実に驚嘆に値する」

 

「日本の耕作を眺めるのは、大工や漆職人等の仕事を見るのと決して劣らぬ楽しみである。ヨーロッパ人の眼にとっては、田畑にさえ一本の雑草をも見ないということは、まったく驚嘆すべきことなのである」

 

「日本料理そのものが既に特別な一章を成すに足るものを持っている。料理は主として自然なままの状態である。栄養があって美味しい刺身のように生ではないにしても、常に明瞭、簡素、純粋の状態で饗されるがゆえに、ヨーロッパ人にとっては実に喜ばしく、驚きべきもがあり」

 

「日本は実に、太初以来その固有の独自な文化を、外部の妨害を受けることなく自主的に今日に到るまで進展させ得たところの国土である。日本は幾世紀の間にしばしば外国の影響を摂取同化し、日本的なものへと変形し、その結果再び日本独自のものを産み出したのであった」

 

 

*この時代の日本人が西洋の影響を強く受けていて、「日本」に眼を向けていないことを危惧して 。

「日本人の眼は今極めて強く西方に向けられているがゆえに、それだけ強く日本人に自国に対する観念が、西欧の批判によって影響されているのである。そしてこの影響の害毒が流す危険はすこぶる大きい」

 

「『日本』という問題は、もはや日本のみの問題ではなくして、世界全体の問題である。この国もまたその国民の自覚の低下にともなって、次第に退屈に、無味乾燥になり始めるとしたら、それは全世界にとって恐るべき損失であろう」

 

*伊勢神宮について

「日本が世界に贈った総ての源泉、日本のまったく独自な文化の鍵、全世界の讃嘆措(お)く能(あた)わざる、完全な形式を備えた日本の根源、-外宮、内宮、荒祭宮の諸宮を有する『伊勢』こそこれらの一切である。あたかも天の成せるが如きこれらの造営物を描き写すことはとうてい出来ない」

 

*伊勢神宮の「式年遷宮」について

「この事実一つの中にも、何という崇高な、まったく独自な考え方が現れていることであろう!」

 

 

*伊勢神宮の建物について

「いわば稲田の作事小屋や農家の結晶であり、真の『神殿』すなわち国土とその大地の精髄(せいずい)の安置所なのである。国民はそれを国民の最高の象徴として崇拝する」

 

「日本の文化が世界のあらゆる民族に寄与したところのものに対して、多少なりとも心を動かされる人は、親しく伊勢に詣でねばならない。そこにはこの文化のあらゆる特質が一つに結晶しており、それゆえ国民的聖地より以上の何ものかが見出さるのである。外宮を持った伊勢はー一言にして言えばーそもそも建築術の神殿であるのだ」

 

*優れた文化をもっていたインカ帝国がヨーロッパに滅ぼされたことを受けて

「日本が少なくてもその種類における唯一の範例として、植民地化の宿命から免れて来たということは、実に喜びに堪えないことである!外国人にとって、この美しい国土をその自然またはその寺院や庭園などよりも以上に魅惑的ならしめる所以のものは、実に生活のあらゆる事象の中に今もなお生きている日本の伝統である」

 

 

*タウトの妻の追憶

「亡なくなりました夫が、あれほど愛し、尊敬しておりました日本、または夫の生涯を最も豊かにしてくれました日本、その日本を識(し)る上に、色々親切な手引きをして下さったお友達の皆様に、只今夫に代わりまして御礼を申し上げます」

 

「夫はどこへ行きましても、夫が識りました日本をその地に広めようと努めておりました。夫の努力はもとより芸術的文化的領域で行われましたものでございましたが、それがいささかなりとも日本および日本人の心理を呼び起こすのに役立ったであろうと私は信じております」

 

*ここまで日本や日本人のことを思ってくれた夫婦を、「過去の人」として、忘れてしまうのはあまりに残念です。

 

そう思って、今回の記事で取り上げたました。

 

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オランダ人(ヒディング)から見た、韓国と韓国人(日本も)

 

「愛くるしい日本国民の微笑、比類なき礼節、上品で果てしないお辞儀と明るく優美な表情には、はるかに心よさを覚えます。」(シドモア 明治時代)

 

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サッカー日韓戦(U23日本代表戦)の大逆転は、興奮しましたね。
ということで、その興奮も冷めやらないうちに、サッカーをとおして、韓国という国や韓国人が見た日本を知りたいと思います。

 

今回は、「ヒディング」というオランダ人の目から見た韓国の姿を紹介します。
まず始めに、ヒディングとはこんな人物です。

 
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「スペインでの監督業を終えた後、2000年に2002FIFAワールドカップでの躍進を狙っていた韓国代表に招かれ、2001年1月に監督に就任。ポルトガル、イタリア、スペインといった強豪国を相手に勝利し、4位を達成した。

韓国では功績から準々決勝でスペインを破ったスタジアムである光州ワールドカップ競技場の名称を「フース・ヒディンク・スタジアム」と名称変更が検討されるほどであり、また名誉国民証を授与された (文、画像はウィキペディアから)」

 

韓国では、今でも「英雄」とされる人物です。
その彼が韓国代表の監督をしていたときのことをつづった「ヒディング自伝 韓国を変えた男(文藝春秋)」から引用して、記事を書いていきます。

 

「夕食時、刺身料理の店でヤンが『災難』にあった。テーブルにはタ コがのっていた。ずたずたに切り裂かれたタコたちは、にょろにょろと皿の上で蠢(うごめ)いていた。そんなものを食べるなんて。

韓国の選手たちはとコーチ陣は、黄色い油をつけて舌鼓みを打ちながら、咀嚼(そしゃく)して呑み込んでいた。誰かが、私たちに食べてみろと言う。一瞬考えたが、とうてい食べられるわけがなかった」

* 日本でも、あるタコの踊り食いですね。外国人には、納豆以上にムリ!なものでしょう。ベジタリアンには、見るだけでも拷問です。

 

 

 「韓国選手に接すれば接するほど、彼らには驚かされてばかりだった。戦歴や技量が問題なのではない。彼らの情熱だ。彼らは、あまりにも純粋で、心を開いて私の指示を理解しようと努力している。

ワールドカップを通じて、自分の価値を高めようとする他の国の選手とは明らかに違った。賈三鉉がいう選手たちの『国家的使命感』とは、まさにこのことらしい」

* 徴兵制がある韓国では、韓国人の愛国心は異常なほど。これが、日韓戦を必要以上に熱くさせているのですけどね。

 

 

「若い選手たちに、楽しむサッカーをしろと話した。車ドゥリにドイツ語で『ゲニースト ダス シュピール』と言うと、彼はすぐにドイツ語で、『楽しいサッカーをしろというのは、どういうことですか?』と聞き返してきた。

『楽しむサッカーをすればいいサッカーができる。だから、サッカーを楽しめ』韓国社会では、仕事を楽しむ姿を見せていけないという話を聞いたことがある。
韓国では楽しむのは仕事が終わって、へべれけになるまで酒を飲む時というふうに聞いているが、それは『楽しむ』ことではない」

 

* プロの選手が、スポーツを「楽しむ」という風潮は、日本でも最近までなかったように思います。
「根性」や「ひたむきな姿勢」がより重視されていた気がしますね。アメリカのベースボールは、日本の野球と違い、この「楽しんでやる」ということが大事とされていると聞いたことがあります。

 

「私は、韓国の意思疎通の方法に問題があると指摘した。韓国では、いつもベテランが若手に指示を出し、若手はただそれに従う。後輩は、ベテランにあえて自分の意見を言うことはない」

「チームを極大化しようとすれば、ピッチでは、年齢と関係なく、円滑な意思の疎通が成立しなければならない。選手には、年齢に関係なく名前を呼べと言った。韓国では、年齢が上の者の名前をむやみに呼んではいけないというが、試合では、そんな礼儀はなんの得にはならない。互いが理解できればいい」

*この辺は、さすが「儒教の国」ですね。

韓国では、儒教の精神が浸透していて、年上の人へのマナーが厳しいです。
例えば、お酒を飲むときも、年上の人を前にすると顔を横に向けて手で口を隠して飲みます。
「そうする必要なないよ」と言うと、それをやめます。

 

上のヒディングの指摘と同じことは、今も韓国で問題になっていて、朝鮮日報の記事( 2016/06/28)には、このようなものがありました。

 

サムスン電子、「さん付け呼称」導入で組織文化を変革へ

・サムスン電子が社員同士の呼称を「ニム」(日本語の様・さんに相当する呼称)に統一することになった。例えば、新入社員が上司のホン・ギルドン部長を呼ぶ時、「ホン部長」でなく「ギルドン・ニム」と呼ぶことになる。

・職位や勤続年数にとらわれず、誰でも自由にコミュニケーションできる文化を作ろうというものだ。

・サムスンが社内文化を革新しようとしている背景には危機感の存在がある。上部の指示に従うだけのトップダウン方式の組織では、急速に変化する情報技術(IT)産業で他社と競うのが難しいと判断したものだ。事実、米シリコンバレーの世界的な企業の間では役職や職位役職などの「階級章」をなくし、誰でも自由に意見を交わせる文化が定着している。

 

 

「日本がフランスに0対5で負けたから、それより少ない点差であれば負けてもいいという話がでているらしい。ありえない話だ」

* 韓国では十分、ありえる話だと思います。

スポーツの勝敗だけではなく、韓国のいろいろな基準は、「日本」にあります。「日本より上か下か」で物事を判断する傾向があることは事実です。

例えば、ノーベル受賞者の受賞者数でも日本と競い合います。

「ノーベル賞0人vs19人…韓国30年、日本146年基礎科学の差(中央日報 2014年10月10日」といった記事は、もはや「秋の風物詩」ですね。

 

 

「『日本の選手からはハングリー精神』がなくなったという話から、あれこれ仔細(しさい)なことまで日本と比較した。つまり、我々がしてはいけないことを並べて、日本を反面教師にしようと思ったのだ。日本と比較すると、選手たちの目が俄然(がぜん)きらきらと輝き始めた」

 

* 「日本が基準」というのは、こんなところからも分かりますね。「日本と比較すると、選手たちの目が俄然(がぜん)きらきらと輝き始めた」というところが、韓国人らしいです。

 

「試合を闘った後の競技場は、めちゃくちゃになるものだ。だが、韓国の人々は、自分が出したごみを全部片づけていった。イタリア戦が終わった後、しばらくグランドに残っていた私は、観衆がゴミを持っていく姿を見かけた。ヨーロッパでは、想像もできないことである」

* これは、日本も負けていませんよ!

ブラジルのワールドカップでは、日本人がゴミを片付けて、世界から称賛を受けていました。

こんな記事もあります。

 「初戦悔しい敗戦も、日本ファンが試合後ゴミ拾い…海外メディア賛辞 (サッカーキング記事  2014.06.16)」

 

こちらもどうぞ。

韓国を知りましょ! 「韓国カテゴリー」 目次①

 

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浜松と宇都宮が「餃子の都」になった理由、満州とのつながり。

 

「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感のもてる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です(オリファント 幕末)」

 

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昨日、ヤフーに「浜松のギョーザ購入金額、2年連続で日本一に /静岡」という浜松経済新聞の記事がありました。

 

私は浜松市民だけど、正直、日本一になるかどうかあんまり関心はないですね。

「二位じゃダメなんですか?」なんて思ったりして。
でも、「浜松は宇都宮とライバル関係にあるんだよね?」と、遠方の友だちに言われと、ちょっと面倒くさいですね。

 

 

宇都宮をライバルと思っているのは、浜松のほんの一部の人だけの話でしょ。
むしろ、静岡市の方がライバル意識があります。

宇都宮のライバルは、群馬の前橋ですしね。
でも、前から「何で日本で浜松と宇都宮が『餃子の街』になったのか?」ということには興味がありました。

 
調べてみると、この二つの都市で餃子が流行った理由は、同じ理由のようです。

 
その理由を言う前に、まず、中国の餃子がいつ日本に来たのか?初めて餃子を食べた日本人は誰なのか?から、記事を始めます。

 

 

「明の儒学者である朱舜水(しゅんすい)について水戸潘が著した1707(宝永4)年刊の『朱舜水氏談綺』によると、1689(元禄2)年、「福包(ふくつつみ)」と呼ばれる鴨肉を使った餃子が水戸光圀(「水戸黄門」としてお馴染み)に献上されたと記されている。この記述により、水戸光圀は“餃子を初めて食べた日本人”と言われている(JB PRESSの記事より)」

 

この記事にあるように、餃子が日本に来たのは江戸時代で、それを初めて食べたのは水戸黄門だということです。
あ、終わってしまった!

 
日本の歴史に関心がある人は、この朱舜水が餃子を伝えたことより、「尊王攘夷」という考えを日本に紹介したことを覚えておいた方がいいですよ。
この思想が、幕末の討幕運動に与えた影響は、はかりしえないですから。

 
すごく細かいことですけど、水戸光圀(みつくに)の「圀」という漢字は、実は、ものすごく特殊な漢字なんです。

 

唐の則天武后(そくてんぶこう:中国の歴史上唯一の女帝)が造らせた「則天文字」という漢字です。
この漢字は、今では中国にも存在していなく、日本にだけあるという不思議な漢字でもあります。

 

ただ、江戸時代のこのときに来た餃子が日本で流行ることはなありませんでした。
日本で餃子が広まったのは、第二次世界大戦の前後のようですね。

 

まず、宇都宮で餃子が流行ったのは、このような理由らしいです。

 

「宇都宮市の餃子の始まりは補充担任を宇都宮師管区とする陸軍第14師団が、1940年(昭和15年)8月以降、衛戍地を満州としたことから宇都宮出身の将兵が帰国に際して本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれる『うつのみやマップのHP』」

 

満州(中国東北部)で、現地の食べ物であった餃子を知った日本人が故郷の宇都宮に戻った後に、作って食べたのが「餃子の街 宇都宮」の始まりのようです。

 

続いて、浜松で餃子が流行った理由を見てみましょう。
「浜松餃子学会」のHPによれば、次のような理由です。

 

「日本に於ける焼き餃子文化は、ほぼどの地域も起源を同じくします。それは、『戦後、中国方面からの復員兵達が商売として始めた』ことです。中国での食体験を基に、戦後の混乱期を生き抜く為に食べ物を売る事にした訳です」

 

「満州で餃子を知った浜松出身の日本人が浜松で餃子を広めた」ということであれば、宇都宮で餃子が流行った理由と同じですね!

 

浜松には「満州街道」と呼ばれる幹線道路があります。
何で「満州」なのか?と、前々から不思議に思っていました。
これを地元の物知りに聞くと、満州から浜松に戻って来た人たちが、その辺りの景色を見て「満州で見た風景に似ている」と思ったことから「満州街道」と名付けられたとのことです。

 

浜松には、満州から戻って来た人たちが多くいたことは間違いないです。
浜松と宇都宮が、満州からの引揚者が他の都市より多かったことが、この二都市を「餃子の街」にした理由でしょうね。
ところで、先ほどの「浜松餃子学会」のHPでは、このような文もあります。

 

 「浜松では実は、全国に先駆けて大正時代より焼き餃子が食べられていた事が解っております。お店の名前も店主の名前も明らかになりました。それなりに人気もあり、大勢のお客さんが連日来ていたそうです。

 

大正~戦前、浜松市には多くの中国人が居りました。その方達の中で中国料理店を営んでいた方が、当時から焼き餃子を出していたのです。餡は、中心がお肉でこそありましたが、現在と同じく、キャベツを多く使っていた様です。さすがに大正時代の味はついえてしまいましたが、戦前の味は、当時そこに勤めていた方などが継承し、その流れは今に残されております」

 

つまり、「浜松は、宇都宮よりも先に餃子を食べていたんですよ」と言いたいようですね。
「どちらが先か?」ということは、ほとんどの浜松人にはどうでもいいことだと思いますけど。

 

冒頭の記事は、鈴木康友浜松市長の次のような言葉で締めくくられています。

 

「『浜松餃子』は『出世の街浜松』にふさわしい、出世のための元気を蓄えるパワーフードなので、浜松の魅力の一つとして今後もさらにギョーザ文化が盛り上がることを期待したい」

 

「パワーフード」という言葉を初めて聞きました。
明日は、餃子を食べに行って、浜松市民としてギョーザ文化の盛り上がりに貢献しようと思います!

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外国人から見た日本と日本人、ザビエルが見た戦国時代の日本

上の画像は、ウィキペディアから。

 

今回の記事では、戦国時代に来日した宣教師の「フランシスコ・ザビエル」の目をとおして戦国時代の日本を紹介します。

 

フランシスコ・ザビエルは、もう中学校の教科書でおなじみの人物ですよね。
でも、ザビエルがどのような日本を見ていたかは、あまり知られていないのではないでしょうか?

 

というわけで、戦国時代の日本とともに、フランシスコ・ザビエルという人物にもせまっていきたいと思います。

 

以下の文は、「ザビエルの見た日本 講談社学術文庫」からの抜粋になります。

 

・日本人は、話がわかれば神のことについてむさぼるように耳を澄まして聞きます。私がこれまで会った国民の中で、キリスト教徒にしろ異教徒にしろ、日本人ほど盗みを嫌う者に会った覚えはありません。

 

・大抵の日本人は字が読めるので、私たちの教会の祈りもすぐ覚えます。

 

・ここにはおいしいものが何もないのです。
いくら食べたいと思っても肉体を満足させるものは全然ありません。ここに住んでいる人びとは決して鳥を殺して食べたりせず、常食は野菜と米で、小麦も、魚も、リンゴも、そのほかの果実も、ここではぜたいく品になっています。

 

・日本人はとても気立てがよくて、驚くほど理性に従います。昔からのやり方がまちがっていて神のおきてが正しいのだということを彼らははっきり悟りました。ただ、自分たちの王を恐れるあまりキリスト教に帰依しないでいるのです。

 

*ザビエルが鹿児島を離れることになったときのこと。

・私たちは信者に別れを告げました。彼らはみな私たちが大好きで、あれほど苦労して永遠の救いに至る道を教えてくれたことに対して涙をこぼして感謝しました。

 

・多くの者はキリストのすばらしい行いの話に吸い込まれるように聞き入りました。キリストの過酷な死の話になると彼らは涙を抑えることができませんでした。しかし実際にキリシタンになった者はほとんどありません。

 

・ミヤコは昔は大都市でした。しかし戦乱が続いて悲惨なことが重なったためにどこもかしこも荒れ果ててしまいました。

 

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・日本人は生まれながらにして好奇心が旺盛で、どこの国の人々も同様に何でも知りたがります。質問と解答について始終ほかの人々と話し合っています。彼らは何でも新しいこと、特に宗教のことが聞きたくてたまりません。

 

 

・キリシタンは信じられないほど私たちを大切にしてくれます。始終私たちの家に来て、なにか手伝えることはないかと尋ねます。 日本人はもともと親切な国民ですが、中でもキリシタンはとてもよい人びとです。彼らほど親切で思いやりのある者はどこにもいないのではないでしょうか。

 

・日本人はどの国民より何ごとでも道理に従おうとします。日本人はいつも相手の話に聞き耳を立て、しつこいほど質問をするので、私たちと論じ合うときも、仲間同士でで語り合うときも、話が全く切りがあません。彼らは地球が円いことを知らず、また、太陽と星の動きについても何も知りませんでした。

 

・私たちが彗星や稲妻や雨の原因について説明すると、彼らは私たちの話に夢中にって楽しそうに聞き入り、私たちをたいへん偉い学者だと思って心から尊敬しました。

 

・私は日本人に口では語り尽くせないほど恩を受けています。日本人を通して主は私の心を照らし、私数えきれないほど多くの罪を犯していることに気づかせてくださいました。

 

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・いくら繰り返しても足りなのは、同志の者たちが予想以上に試練と葛藤に耐えていかなければならないことです。しつこく質問しに来る者たちが昼も夜も跡を絶たず、解放されることはほとんどありません。

 

・この人びとの欠点の一つは、外国人の時間を、特に遠方から来る者たちの時間を平気で取り上げることです。別に悪気はなく、迷惑をかけるつもりも全然ないのですが、相手をばかにしたりみだらな口を利いて相手をからかったりすることはくあります。

 

・聖徳に秀でた神父を日本へ派遣していただけることを力とも慰めとも思っています。その主な動機の一つは、日本の国民が今この地域にいるほかのど国民より明らかに優秀だからです。

 

・日本では厳しい寒さに苦しまなければなりません。寒さをしのぐ方法はほとんどありませんし、体を休めるような寝床さえないことがよくあります。

 

・この地域の厳しい寒さとそのほかの試練に耐えるには当会のベルギー人の司祭、あるいはドイツ人の司祭が適していると思います。
 どうでしょうか?

 戦国時代の日本の様子やザビエルがどのような思いでキリスト教の布教活動をしていたかが、何となくでも見えてきたのではないでしょうか?

 

 ちなみに、これらのザビエルの言葉は、ザビエルがローマのイエズス会に送った手紙の中にあるものです。当然、日本人にではなく、ローマのヨーロッパ人に向けて書いたものです。

 

 ですから、テレビ番組でよくやるような、外国人が言う「ニホンハ、スゴイデスネ~」というお世辞はなく、ザビエルが見て聞いて感じたことをそのまま文にしたものだと思います。 

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外国人に必要な配慮とは?② ~外国人に日本を説明すること~

 

前回の記事で、2020年の東京五輪・パラリンピックについての読売新聞の記事を紹介しました。

 

「外国人向けの地図で、寺院の地図記号は「卍」が、ナチス・ドイツのマークを連想させるという意見が多数寄せられたため、三重の塔のデザインとした」

 

という内容のものです。

この記事を読んで、こんなことを思いました。
「『卍』は変えずにそのままにして、『卍』の説明文を添えればいいんじゃないの?」

 


それが、欧米人の考え方にも沿っていると思うからです。

2012年2月24日のニューズウィークという雑誌に、「ヒトラー『わが闘争』今さら出版する訳」という見出しで、次のような内容の記事がありました。

 

「世界中で忌み嫌われるナチスの独裁者アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』。反ユダヤ思想に満ちたこの本の抜粋に解説を付けて、英出版社アルバルタスがドイツで出版する」

 

欧米では、ナチスに関するものはタブーとされているので、街で鉤十字などナチスを連想させるものを見ることはないと言います。

 

ナチスを連想させるどころか、ヒトラーのユダヤ人差別思想をそのまま伝える「我が闘争」になると、大きな問題になり、このようなニュースになります。

 

このことについて、毎日新聞の記事(2016年1月9日)に、このようなものありました。
「ヒトラー「わが闘争」再出版 戦後発禁の著書」という見出しの記事です。
大よそ、このような内容です。

 

・第二次大戦後、事実上出版が禁じられてきたナチスの独裁者ヒトラーの著書「わが闘争」がドイツで再出版されることが決まった。

・この本は、「ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で知られるナチスのイデオロギーの柱になった著書(同記事)」というもので、これをを読んだ人が、ヒトラーの考えに感化されて、ユダヤ人など外国人差別を助長させる可能性がある「危険な書」でもある。

・そのため、この本をそのまま出版させるわけにはいかず、780ページ程度の原作に、膨大な注釈(補足的な説明・解説)を付けたために、約2000ページの本になっている。

 

原作の3倍近い量の注釈を必要とする本というのもすごいですね。
ですが、この本の影響を受けて人種差別思想をもたないようにするためには、絶対に必要な処置なのでしょう。

 

それほど危ない本なのだから、「出版しない方がいい」という意見もありましたが、ドイツでは再販が決められました。

 

このことをどう思うか、アメリカ人、イギリス人、フィリピン人に聞いてみました。
彼らは関心の差はあるけれど、ナチスのことや「我が闘争」の再販のニュースは知っていました。

 

彼らにしてみれば、「地図記号が「卍」から三重塔になる」ということより、「我が闘争が出版される」ということの方に関心があると思います。
逆に、日本では、この本の出版よりも地図記号の変更の方が関心が高いと思いますけど。

 

友人たちはみんな、「我が闘争」の再出版には賛成でしたね。
イギリス人は、こんな風に言っていました。

 

「出版した方がいい。ナチスのホロコースト(ユダヤ人虐殺)は、ナチスドイツだけの責任ではなく、ヨーロッパ全体の責任だ。その悲劇を起こさないためには、ヒトラーの考えを知っておいた方がいい。知らないでいることは良くない」
つまり、「『わが闘争』は、出版することより、出版禁止にするほうが危ない」ということですね。

 

一般に、欧米ではナチスを連想させるものは危険視されていて、タブーになっています。
でも、このように「正しい説明を加えたものなら、世に出してもいい。むしろ出すべきだ」という考えもあります。

 

前回のボクの体験と、欧米のこうした考え方から、「『卍』のマークに注釈(説明)を付けて地図に載せたらいいのに」と、思ったわけです。

 

「ナチスを連想させるから、卍をやめて三重塔にしよう」というのではなく、そのまま「卍」にしておく。
でも、説明を加えて「卍」についての外国人の認識を正しいものにしていく。
これが、外国人への配慮になると思います。

 

それに、日本中の卍を変えることは不可能ですし、いずれどこかで外国人が卍を見ることになると思います。

 

東京オリンピック東京オリンピックで、外国人に「正しい卍の意味を伝える」ということが、後々、いろいろなところで活きてくると思うのですけどね。

 

まあ、この地図記号の変更には他にも理由があるのかもしれませんけど。
ということで、「外国人に必要な配慮」とは、日本のことについて誤解することがないように、日本のことを正しく伝えること、だと思います。

 

でも、そのために一番大事なことは、日本人が日本のことを正しく知っておくことですね。
このブログでいろいろ書いているのも、「そのお役に立てれば」という気持ちがあります。

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