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「戦争はしません」の結果、第二次世界大戦へ~チェンバレンの宥和政策とチャーチル~


 

「ニューズウィーク2016.2.2号」に、興味深いコラムがありました。
「独裁者から世界を救った名宰相チャーチルの死」というタイトルのもです。
それを読んで、第二次世界大戦が起きた意外な理由があったことを思い出したので、今回はそれについて書いてみたいと思います。

 

チャーチルという人や第二次世界大戦が起きた理由を知っておいてきっと損はないはずです!

 

以前、イギリス人の友人に、「イギリスで最も尊敬されている人物は?」と聞いたところ、真っ先にこのチャーチルの名をあげていました。何の迷いもなかったですね、即答でした。
そのチャーチルとは、こんな人物です。

イギリス保守党の首相(在位1940~45、51~55)。早くからナチスの強大化を警戒し、宥和政策を批判していた。1945年5月、チェンバレンにかわって首相に就任、ローズヴェルト・スターリンとともに連合国の指導者として活躍した(世界史用語集 山川出版)

 

 

以下の文は、先ほどのニューズウィーク誌(2016.2.2号)のコラムからの抜粋になります。

 

・1人の人間の死が時代の終焉を告げることなど、そうあることでは」ない。1965年1月24日、90歳でなくなったイギリスのウィンストン・チャーチル元首相は、第二次世界大戦という困難な時代を切り抜け、歴史のページをめくった大きな光のような存在だった。
・「彼の名は英語が話され続ける限り生き続ける。ウィンストン・チャーチルは史上最も偉大なイギリス人だったと言っても過言ではなく、言うのに早過ぎるということもない」

 

・39年、ヒトラーが率いるナチスドイツがポーランドに侵攻して大戦が始まると、チャーチルは首相に就任。チェンバレン前首相の宥和政策を退け、勝利に向け全力で戦うことを誓った。

 

・イギリスは英本土上空の戦い「バトル・オブ・ブリテン」でドイツ空軍を撃退。連合軍は44年フランスに上陸し、45年5月にドイツを降伏させた。戦後の世界にとって、ファシズムと真正面から戦い続けたチャーチルはあの戦争を終わらせてくれた恩人でもあった。
・人が死ぬのは人々の記憶から忘れられたとき、という言葉がある。チャーチルは死半世紀がたつ今も、イギリスだけではなく世界中から愛され尊敬されている。

 

・今年発行されるイギリスの新しい5ポンド紙幣には、チャーチルの肖像が採用される。世界を独裁者から救った偉大な宰相からすれば、当然の勲章だろう。

 

先ほどの世界史用語集や以上の抜粋の中に、「チェンバレン」と「宥和政策」という言葉が出てきています。

これは、ご存知でしょうか?
この言葉を説明する前に、第二次世界大戦はなぜ起きたかを確認しておきましょう。
「世界史用語集」には、第二次世界戦の開始について、次のような説明があります。

 

1939年9月1日にドイツのポーランド侵攻に対し、ポーランドの同盟国のイギリス・フランスが9月3日、ドイツに宣戦布告したことから始まった(世界史用語集 山川出版)

 

一言でいえば、「ドイツのポーランド侵攻が原因」ですね。一般的には、これが正しい答えです。

 

ただ、「ドイツにポーランドを侵攻させた」ことについては、他に原因があります。今回の記事では、それを紹介したいと思います。
それが、チェンバレンの宥和政策です。

 

まず「ネヴィル=チェンバレン」という人物について。

イギリス保守党の首相(在位1869~40)。ドイツ・イタリアに対し て宥和(ゆうわ)政策で対応した。ミュンヘン会談で、戦争回避のためにヒトラーの要求を認めたが、第二次世界大戦を防げなかった。戦争指導に対し、党内からも不信の声があがり。1940年5月に首相を辞任した(世界史用語集 山川出版)

 

彼の後に、首相になったのがチャーチルです。
先ほどのコラムで、「世界を独裁者から救った偉大な宰相」として、絶賛された人物です。
チャーチルは、チェンバレンがとったこの宥和政策が間違っていると批判をしていました。

宥和政策とは、一般的に次のようなものをいいます。

妥協点を探り、協議と譲歩によって衝突をさけようとする政策(世界史用語集 山川出版)

チェンバレンがとった宥和政策とは、イギリスとドイツとの戦争を避けるために、ヒトラーに協議と譲歩で臨んだことを言います。

 

これとその後の推移を、イギリス人の視点から見てみましょう。
以下は、「あらすじで読む英国の歴史 (ジェームズ・M・バーダマン)」から引用しました。

「ドイツが隆盛し始めるた数年間、そもそもイギリスはこの国に干渉するつもりなどはまったくありませんでした。外交官たちは、可能な限り争いを避けようとしていたのです。そうした宥和政策の典型は、1938年のネヴィル・チェンバレン首相とヒトラーとの会談でした。ヒトラーに譲歩すれば、ドイツはこれ以上領土を要求することはなくなるだろうと見込んだチェンバレンは、彼の要求のほとんどすべてを容認したのです」

 

「ドイツとの戦いを避け、平和的な手段で問題を解決できた」と確信したチェンバレンは、イギリスに帰国後、「われらの平和」を高らかに宣言しました。

その結果、次のようなことが起来ました。

 

「6カ月後、ヒトラーはこれを破棄し、チェコスロヴァキア全土を占領したのです。イギリスはすぐさま再武装し、ヒトラーに対抗する国々と同盟を結び始めました。最終的にイギリスはフランスを含めた連合国軍に参加し、のちにそこにはアメリカ合衆国とソビエト連邦が加わりました」

こうして第二次世界大戦が始まったことは、先に書いたとおりです。
この本で、著者のイギリス人は、ネヴィルチェンバレンをこう評価しています。

 

「就任後の外交面では弱腰な姿勢が目立ち、宥和政策を敢行(かんこう)したことがかえってヒトラーを増長させ、結局第二次世界大戦を誘引(ゆういん)することになったのです」

世界史用語集には、「戦争回避のためにヒトラーの要求を認めたが、第二次世界大戦を防げなかった」と書いてありました。
ですが、このイギリス人の観点からすると、「戦争回避のためにヒトラーの要求を認めたために、第二次世界大戦を引き起こした」ということなっていてます。

 

現在のイギリス人の多くも、これと同じ見方をしていると思います。

大学で歴史を専攻していたイギリス人に、チェンバレンの宥和政策について聞いてみたことがあります。

 

「あれは、完全に間違っていた。あのとき、イギリスは、戦争だけはしたくないと考えていて、臆病になっていた。もっと早くナチスドイツを叩いておくべきだった。チャーチルがいなかったら、イギリスはナチスドイツのものになっていたはずだ」
つまり、「ドイツが強大化する前に、イギリスやフランスはドイツを叩いておくべきだった」ということを言っていたのです。
確かに、そうしたら、救うことができた命 もあったかもしれません。

 

あくまでも平和を求めて、戦争を避けようとしたために、結果として、戦争を招いてしまった。
多少、皮肉な言い方ですけれど、それも正しい見方だと思います。

 

チェンバレンの宥和政策を批判して、ドイツと戦ったチャーチルが、イギリスで最も尊敬される政治家になっています。
このことからも、この考え方、は多くのイギリス人から支持されているだろうと思います。

 

もちろん、対立が起きたときは、武力でなく、話し合いなど平和的な手段で解決することが一番の理想です。
戦争を避けて平和を求めることは、あまりに当然のことです。
ただ、結果として、それが原因となって戦争を招いてしまうことがあります。現実に、そうしたことが歴史にありました。
現実の世界には、平和的な手段で解決できる相手とできない相手がいます。

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