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日本人の考え方や価値観を知る。「菊と刀」から見る太平洋戦争中の日本人


 

「日神すな わち天照大神がながくその伝統を伝えて君臨している。わが国だけにこのことであって他国にはこのような例はない」 (北畠親房 「神皇正統記」 鎌倉時代

 

以前の記事 で、ルーズベネディクトの「菊と刀」から引用をしました。

「ウィキペディア」によれば、これはこんな本です。

 

「日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じて、日本文化の解明を試みた。『菊と刀』はアメリカ文化人類学史上最初の日本文化論である」

 

ザビエルやフロイスの記録は、彼らが日本で見て聞いて感じたことを記した個人的な記録でした。

 

これに対して、この「菊と刀」は、アメリカ人が本格的に日本人を理解しようと試みた本になります。

 

日本人の行動は、どのような考え方にもとづくのか?その考え方はどのようにして生まれたか?といったことを、アメリカ人の文化人類学者であったベネディクトが考察しています。
今回は、この本から、戦時中の日本人の行動や考え方を紹介したいと思います。

 

なお、この本には、以下のような批判(ウィキペディアから)がありますので、それも考慮して読んでもらえればと思います。

「日本文化が西洋文化とは対極の位置に置かれていることに、批判の目が向けられている。また、日本の文化を外的な批判を意識する「恥の文化」と決め付け、欧米の文化を内的な良心を意識する「罪の文化」と定義したことへの批判もある。」

以下は、菊と刀 (講談社学術文庫)」からの抜粋になります。

 

・私が日本人といっしょに仕事をしていた時に、彼らの使用する語句や観念の多くは最初は不可解に思われたが、やがてそれらは重要な含蓄をもっており、何百年もの歳月を経た感情のこもったものであることがわかってきた。

徳と不徳とは西欧人の考えているものとまるで 違ったものであった。その体系は全く独特のものであった。それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。
それは日本的であったー日本の長所も短所も含めて。

「日本人の精神主義について」

 

・日本はまたその勝利の望みを、アメリカで一般に考えられていたものとは異なった根底の上に置いていた。日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と叫んでいた。
なるほど、アメリカは大国である、軍備もまさっている、しかしそれがどうしたというのだ、そんなことは皆はじめから予想されていたことであり、われわれははじめから問題にしていないのだ、と彼らは言っていた。

 

・まだ日本が戦争に勝っていた時でさえ、日本の政治家も、大本営も、くり返しくり返し、この戦争は軍備と軍備との戦いではない、アメリカ人の物に対する信仰と、日本人の精神に対する信仰との戦いだ、と言っていた。
・しかしながら軍艦や大砲は不滅の「日本精神」の単なる外面的なあらわれにすぎなかった。それらは象徴であった、あたかも武士の刀がその勇気の象徴であったように。

 

・あのちっぽけな飛行機を駆りわれわれの軍艦目がけて体当り自爆をする操縦士たちは、精神の物質に対する優越をものがたる無尽蔵の教訓とされた。これらの操縦士たちは「カミカゼ特攻隊」と名づけられた。

「カミカゼ」というのはあの、十三世紀にジンギス・カンの来寇の時に。その輸送船を蹴散らし転覆させて日本 を救った神風の意味である。

 

*日本人の「精神力は、物理的不利に打ち勝つ」という考えは、今の日本でもあると思います。
軍国主義的な意味でなければ、この言葉をすべて否定することもないですけどね。

 

「降伏しない日本人について」

 

・日本人俘虜の証言はこれらの人の説を裏書きした。西欧の兵士たちと異なり、日本の俘虜たちは、捕えられた場合に、どういうことを言うべきか、またどういうことについては沈黙をまもるべきか、ということを教えられていなかった。

それでいろいろな問題に関する彼らの返答は、いちじるしく統制を欠いたものであった。このように捕虜になった時の訓練ができていないのは、いうまでもなく日本の無降伏主義に基因するものであった。

 

・戦争中、日本軍には負傷者を砲火の中から救い出し、応急処置を施す訓練された救護班がなかった。

 

・日本軍はしばしば病院のある地点から退却せねばならないはめに陥った。まだ時機を逸しない間に、あらかじめ傷病兵を後送するという慣例がなかった。

 

・その処置というのはしばしば、主任軍医が退去に先立って入院患者を射殺するか、あるいは患者自ら手榴弾で自分の生命を絶つことであった。

 

・降伏を禁じる軍律がありはしたのであるが、その結果、例えばビルマ会戦のさいの俘虜と戦死者との割合は、一四二対一七、一六六名、すなわち一対一二0の比率であった。

*この「一対一二0の比率」がどれだけ異常な比率であるかは、以下を見れば分かります。

・西欧諸国の軍隊では、戦死者がその全兵力の四分の一ないし三分の一に達した時は、その部隊は抵抗を断念して手をあげるのが自明の理とされている。投降者と戦死者との比は、ほぼ四対一である。

 

 

・「降伏の恥辱は日本人の意識の中に深く烙きつけられていた。彼らはわれわれの戦争慣例とは相容れない行動を当然のこととして認めていた。そしてわれわれの行動はまた彼らにとって、ちょうど同じように不可解であった。

 

彼らがアメリカ人俘虜がその名前を本国政府に報告して、自分たちの生きていることを家族に知らせてほしいと 依頼したことを、さもさも呆れはてたこと、見下げたこととして噂していた。

バタアン半島でアメリカ軍が降伏したことも、少なくても一般兵卒には意外であった。彼らはアメリカ軍が日本流に最後まで戦い抜くと思い込んでいたからである」

*このアメリカ軍の予想外の大量降伏が、「バターン死の行進」につながってしまいました。

 

「大正デモクラシー」

 

・「彼らはあの第一次世界大戦の後、猫も杓子(しゃくし)も『デモクラシー』を口にした時代、軍人が東京の市中に出かける時には、平服に着換えて行った方が賢明だったくらいに、軍国主義が不人気だった時代でも」

 

*第一次世界大戦後から太平洋戦争が終わるまで、日本がずっと「軍国主義化していた」と、思っていませんでしたか?この「大正デモクラシー」の時代は、軍国主義よりも民主主義の方が人気があったようですね。

軍人が軍服を着て東京を歩くことがはばかれたような時代だったのですから。

 

「日本人と天皇」

・「しかしながら、天皇は、彼らにとっては切り離すことができないものであった。『天皇のない日本は考えられない』。『日本の天皇は日本国民の象徴であり、国民の宗教生活の中心である。天皇は超宗教的な対象である』。たとえ日本が戦いに負けたところで、敗戦の責任は天皇にはない。」

 

・天皇が命令する限り、日本人は「竹槍を揮(と)って」死ぬまで戦うであろうが、それと同じように、もしそれが 勅命であるならば、彼らはおとなしく敗戦と占領とを甘受するであろう、という俘虜たちの主張は本当だろうか。
その主張は正しかったと言える。日本を占領したアメリカ軍に組織的抵抗を試みた日本人はいなかった。玉音放送を聞いた日本人は、もうそれができなかっただろう。

 

「アメリカについて」

・平等はアメリカ人の、よりよき世界の希望の、最高にして最も道徳的 な基礎である。それはわれわれには、圧政と、干渉と、欲せざる重 荷からの自由を意味する。それは法律の前の平等と、各人が自らの境遇を改善する権利とを意味する。

それは今日の世界において組織的な形で実現されている基本的人権の根底である。

 

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