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浜松と宇都宮が「餃子の都」になった理由、満州とのつながり。


 

「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感のもてる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です(オリファント 幕末)」

 

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昨日、ヤフーに「浜松のギョーザ購入金額、2年連続で日本一に /静岡」という浜松経済新聞の記事がありました。

 

私は浜松市民だけど、正直、日本一になるかどうかあんまり関心はないですね。

「二位じゃダメなんですか?」なんて思ったりして。
でも、「浜松は宇都宮とライバル関係にあるんだよね?」と、遠方の友だちに言われと、ちょっと面倒くさいですね。

 

 

宇都宮をライバルと思っているのは、浜松のほんの一部の人だけの話でしょ。
むしろ、静岡市の方がライバル意識があります。

宇都宮のライバルは、群馬の前橋ですしね。
でも、前から「何で日本で浜松と宇都宮が『餃子の街』になったのか?」ということには興味がありました。

 
調べてみると、この二つの都市で餃子が流行った理由は、同じ理由のようです。

 
その理由を言う前に、まず、中国の餃子がいつ日本に来たのか?初めて餃子を食べた日本人は誰なのか?から、記事を始めます。

 

 

「明の儒学者である朱舜水(しゅんすい)について水戸潘が著した1707(宝永4)年刊の『朱舜水氏談綺』によると、1689(元禄2)年、「福包(ふくつつみ)」と呼ばれる鴨肉を使った餃子が水戸光圀(「水戸黄門」としてお馴染み)に献上されたと記されている。この記述により、水戸光圀は“餃子を初めて食べた日本人”と言われている(JB PRESSの記事より)」

 

この記事にあるように、餃子が日本に来たのは江戸時代で、それを初めて食べたのは水戸黄門だということです。
あ、終わってしまった!

 
日本の歴史に関心がある人は、この朱舜水が餃子を伝えたことより、「尊王攘夷」という考えを日本に紹介したことを覚えておいた方がいいですよ。
この思想が、幕末の討幕運動に与えた影響は、はかりしえないですから。

 
すごく細かいことですけど、水戸光圀(みつくに)の「圀」という漢字は、実は、ものすごく特殊な漢字なんです。

 

唐の則天武后(そくてんぶこう:中国の歴史上唯一の女帝)が造らせた「則天文字」という漢字です。
この漢字は、今では中国にも存在していなく、日本にだけあるという不思議な漢字でもあります。

 

ただ、江戸時代のこのときに来た餃子が日本で流行ることはなありませんでした。
日本で餃子が広まったのは、第二次世界大戦の前後のようですね。

 

まず、宇都宮で餃子が流行ったのは、このような理由らしいです。

 

「宇都宮市の餃子の始まりは補充担任を宇都宮師管区とする陸軍第14師団が、1940年(昭和15年)8月以降、衛戍地を満州としたことから宇都宮出身の将兵が帰国に際して本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれる『うつのみやマップのHP』」

 

満州(中国東北部)で、現地の食べ物であった餃子を知った日本人が故郷の宇都宮に戻った後に、作って食べたのが「餃子の街 宇都宮」の始まりのようです。

 

続いて、浜松で餃子が流行った理由を見てみましょう。
「浜松餃子学会」のHPによれば、次のような理由です。

 

「日本に於ける焼き餃子文化は、ほぼどの地域も起源を同じくします。それは、『戦後、中国方面からの復員兵達が商売として始めた』ことです。中国での食体験を基に、戦後の混乱期を生き抜く為に食べ物を売る事にした訳です」

 

「満州で餃子を知った浜松出身の日本人が浜松で餃子を広めた」ということであれば、宇都宮で餃子が流行った理由と同じですね!

 

浜松には「満州街道」と呼ばれる幹線道路があります。
何で「満州」なのか?と、前々から不思議に思っていました。
これを地元の物知りに聞くと、満州から浜松に戻って来た人たちが、その辺りの景色を見て「満州で見た風景に似ている」と思ったことから「満州街道」と名付けられたとのことです。

 

浜松には、満州から戻って来た人たちが多くいたことは間違いないです。
浜松と宇都宮が、満州からの引揚者が他の都市より多かったことが、この二都市を「餃子の街」にした理由でしょうね。
ところで、先ほどの「浜松餃子学会」のHPでは、このような文もあります。

 

 「浜松では実は、全国に先駆けて大正時代より焼き餃子が食べられていた事が解っております。お店の名前も店主の名前も明らかになりました。それなりに人気もあり、大勢のお客さんが連日来ていたそうです。

 

大正~戦前、浜松市には多くの中国人が居りました。その方達の中で中国料理店を営んでいた方が、当時から焼き餃子を出していたのです。餡は、中心がお肉でこそありましたが、現在と同じく、キャベツを多く使っていた様です。さすがに大正時代の味はついえてしまいましたが、戦前の味は、当時そこに勤めていた方などが継承し、その流れは今に残されております」

 

つまり、「浜松は、宇都宮よりも先に餃子を食べていたんですよ」と言いたいようですね。
「どちらが先か?」ということは、ほとんどの浜松人にはどうでもいいことだと思いますけど。

 

冒頭の記事は、鈴木康友浜松市長の次のような言葉で締めくくられています。

 

「『浜松餃子』は『出世の街浜松』にふさわしい、出世のための元気を蓄えるパワーフードなので、浜松の魅力の一つとして今後もさらにギョーザ文化が盛り上がることを期待したい」

 

「パワーフード」という言葉を初めて聞きました。
明日は、餃子を食べに行って、浜松市民としてギョーザ文化の盛り上がりに貢献しようと思います!

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