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日本人の「おもてなし」、マナーの向上・雨乞い~東京オリンピック~


 

今週発売された「ニューズウィーク2016.2.2号」の記事で、1964年の東京オリンピック前後の日本の様子が書いてありました。

 

その当時の日本の様子が分かる面白い内容でした。

その記事から、東京オリンピック前後の日本が分かる部分を抜粋してみなさんに紹介したいと思います。


・水不足も深刻だった。当時の東京は、たびたび渇水に襲われてい
たが、あの年の夏は特にひどく、東京都は給水制限を実施していた。もちろん、都民は節水に努めた。

そば屋は営業時間を短縮し、ナイトクラブのホステスは「東京を救うため、ウィスキーは水で割らずにストレートで」と客に勧めた。川の流れを変え、深い井戸を掘ったりもした。

神社では神官が雨乞いの儀式を執り行い、科学者たちは人工的に雨を降らせる技術に磨きをかけた。

 

 
・そして、10月1日には、オリンピックとは直接関係はないもも、日本の威信が懸かっていた東海道新幹線が開業した。当時200キロを超える最高速度は、当時としては世界一だった。しかも運行は秒単位で正確で、新幹線の発着で時計にを合わせる人もいたくらいだ。

 

 

・マナー教育も急務だった。地下鉄の構内には「立小便禁止」とか「寝巻きや腹巻き姿で羽田空港に行くのはやめましょう」などという掲示板が貼られていた。若い女性向けだろうか、「外国人男性が親切でも、愛情の表現を勘違いしてんはいけません」という意味の掲示まであった。

 

 

・当日は、抜けるような青空だった。聖火リレーの最終走者には、原爆投下の日に生まれたアスリートの坂井義則が起用された。そして天皇陛下だ。参加国93ヵ国の選手団の入場を天皇陛下は直立不動の姿勢で見守った。取材していた米紙シカゴ・トリビューンのサム・ジェームズソン記者が言っている。「みんな座っているのに、天皇陛下だけだ立っていた。あんな光景は初めて見た

 

 

・多くの場所で歴史的な景観が失われた。最も醜悪なケースは日本橋だろう。日本橋は昔から東海道の起点であり、大きな市場でもあった。そんな東京のシンボルともいえる場所を、高速道路で塞いでしまったのだ。かつての東京は水路の町だったのに、その面影は永遠に失われてしまった。

 

 
・一方、今の東京は国際都市としての成熟が遅れている。公的資格を持つガイドや有能な通訳は不足し、海外のクレジットカードを使えるATMも少なく、しつこい客引きは多くて、無料のWi-Fiスポットは足りない。

 

 

・電車やバスはの運行は時計のように正確で、スカイラインは思わず息をの飲む美しさ。東京タワーや浅草寺ほど知られてはいないが、東京湾のレインボーブリッジから望む大都会の夜景は世界屈指だ。

 

 

・世界各国の料理が楽しめる東京は、比類なき食の都でもある(ただしイスラム教徒のためのハラール認証を受けた店はまだ少ない)。

 

イスラム教徒のためのハラール認証

 

 

・町は清潔で、大都市にしては非常に安全。一般論として、ニューヨーカーやパリジャンより東京っ子は親切で、道に迷った外国人には誰かが手を差し伸べる。タクシーや電車でなくした財布や携帯電話が、魔法のようにホテルに届くこともある。

  

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