浜松と宇都宮が「餃子の都」になった理由、満州とのつながり。

 

「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感のもてる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です(オリファント 幕末)」

 

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昨日、ヤフーに「浜松のギョーザ購入金額、2年連続で日本一に /静岡」という浜松経済新聞の記事がありました。

 

私は浜松市民だけど、正直、日本一になるかどうかあんまり関心はないですね。

「二位じゃダメなんですか?」なんて思ったりして。
でも、「浜松は宇都宮とライバル関係にあるんだよね?」と、遠方の友だちに言われと、ちょっと面倒くさいですね。

 

 

宇都宮をライバルと思っているのは、浜松のほんの一部の人だけの話でしょ。
むしろ、静岡市の方がライバル意識があります。

宇都宮のライバルは、群馬の前橋ですしね。
でも、前から「何で日本で浜松と宇都宮が『餃子の街』になったのか?」ということには興味がありました。

 
調べてみると、この二つの都市で餃子が流行った理由は、同じ理由のようです。

 
その理由を言う前に、まず、中国の餃子がいつ日本に来たのか?初めて餃子を食べた日本人は誰なのか?から、記事を始めます。

 

 

「明の儒学者である朱舜水(しゅんすい)について水戸潘が著した1707(宝永4)年刊の『朱舜水氏談綺』によると、1689(元禄2)年、「福包(ふくつつみ)」と呼ばれる鴨肉を使った餃子が水戸光圀(「水戸黄門」としてお馴染み)に献上されたと記されている。この記述により、水戸光圀は“餃子を初めて食べた日本人”と言われている(JB PRESSの記事より)」

 

この記事にあるように、餃子が日本に来たのは江戸時代で、それを初めて食べたのは水戸黄門だということです。
あ、終わってしまった!

 
日本の歴史に関心がある人は、この朱舜水が餃子を伝えたことより、「尊王攘夷」という考えを日本に紹介したことを覚えておいた方がいいですよ。
この思想が、幕末の討幕運動に与えた影響は、はかりしえないですから。

 
すごく細かいことですけど、水戸光圀(みつくに)の「圀」という漢字は、実は、ものすごく特殊な漢字なんです。

 

唐の則天武后(そくてんぶこう:中国の歴史上唯一の女帝)が造らせた「則天文字」という漢字です。
この漢字は、今では中国にも存在していなく、日本にだけあるという不思議な漢字でもあります。

 

ただ、江戸時代のこのときに来た餃子が日本で流行ることはなありませんでした。
日本で餃子が広まったのは、第二次世界大戦の前後のようですね。

 

まず、宇都宮で餃子が流行ったのは、このような理由らしいです。

 

「宇都宮市の餃子の始まりは補充担任を宇都宮師管区とする陸軍第14師団が、1940年(昭和15年)8月以降、衛戍地を満州としたことから宇都宮出身の将兵が帰国に際して本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれる『うつのみやマップのHP』」

 

満州(中国東北部)で、現地の食べ物であった餃子を知った日本人が故郷の宇都宮に戻った後に、作って食べたのが「餃子の街 宇都宮」の始まりのようです。

 

続いて、浜松で餃子が流行った理由を見てみましょう。
「浜松餃子学会」のHPによれば、次のような理由です。

 

「日本に於ける焼き餃子文化は、ほぼどの地域も起源を同じくします。それは、『戦後、中国方面からの復員兵達が商売として始めた』ことです。中国での食体験を基に、戦後の混乱期を生き抜く為に食べ物を売る事にした訳です」

 

「満州で餃子を知った浜松出身の日本人が浜松で餃子を広めた」ということであれば、宇都宮で餃子が流行った理由と同じですね!

 

浜松には「満州街道」と呼ばれる幹線道路があります。
何で「満州」なのか?と、前々から不思議に思っていました。
これを地元の物知りに聞くと、満州から浜松に戻って来た人たちが、その辺りの景色を見て「満州で見た風景に似ている」と思ったことから「満州街道」と名付けられたとのことです。

 

浜松には、満州から戻って来た人たちが多くいたことは間違いないです。
浜松と宇都宮が、満州からの引揚者が他の都市より多かったことが、この二都市を「餃子の街」にした理由でしょうね。
ところで、先ほどの「浜松餃子学会」のHPでは、このような文もあります。

 

 「浜松では実は、全国に先駆けて大正時代より焼き餃子が食べられていた事が解っております。お店の名前も店主の名前も明らかになりました。それなりに人気もあり、大勢のお客さんが連日来ていたそうです。

 

大正~戦前、浜松市には多くの中国人が居りました。その方達の中で中国料理店を営んでいた方が、当時から焼き餃子を出していたのです。餡は、中心がお肉でこそありましたが、現在と同じく、キャベツを多く使っていた様です。さすがに大正時代の味はついえてしまいましたが、戦前の味は、当時そこに勤めていた方などが継承し、その流れは今に残されております」

 

つまり、「浜松は、宇都宮よりも先に餃子を食べていたんですよ」と言いたいようですね。
「どちらが先か?」ということは、ほとんどの浜松人にはどうでもいいことだと思いますけど。

 

冒頭の記事は、鈴木康友浜松市長の次のような言葉で締めくくられています。

 

「『浜松餃子』は『出世の街浜松』にふさわしい、出世のための元気を蓄えるパワーフードなので、浜松の魅力の一つとして今後もさらにギョーザ文化が盛り上がることを期待したい」

 

「パワーフード」という言葉を初めて聞きました。
明日は、餃子を食べに行って、浜松市民としてギョーザ文化の盛り上がりに貢献しようと思います!

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日本人の「おもてなし」、マナーの向上・雨乞い~東京オリンピック~

 

今週発売された「ニューズウィーク2016.2.2号」の記事で、1964年の東京オリンピック前後の日本の様子が書いてありました。

 

その当時の日本の様子が分かる面白い内容でした。

その記事から、東京オリンピック前後の日本が分かる部分を抜粋してみなさんに紹介したいと思います。


・水不足も深刻だった。当時の東京は、たびたび渇水に襲われてい
たが、あの年の夏は特にひどく、東京都は給水制限を実施していた。もちろん、都民は節水に努めた。

そば屋は営業時間を短縮し、ナイトクラブのホステスは「東京を救うため、ウィスキーは水で割らずにストレートで」と客に勧めた。川の流れを変え、深い井戸を掘ったりもした。

神社では神官が雨乞いの儀式を執り行い、科学者たちは人工的に雨を降らせる技術に磨きをかけた。

 

 
・そして、10月1日には、オリンピックとは直接関係はないもも、日本の威信が懸かっていた東海道新幹線が開業した。当時200キロを超える最高速度は、当時としては世界一だった。しかも運行は秒単位で正確で、新幹線の発着で時計にを合わせる人もいたくらいだ。

 

 

・マナー教育も急務だった。地下鉄の構内には「立小便禁止」とか「寝巻きや腹巻き姿で羽田空港に行くのはやめましょう」などという掲示板が貼られていた。若い女性向けだろうか、「外国人男性が親切でも、愛情の表現を勘違いしてんはいけません」という意味の掲示まであった。

 

 

・当日は、抜けるような青空だった。聖火リレーの最終走者には、原爆投下の日に生まれたアスリートの坂井義則が起用された。そして天皇陛下だ。参加国93ヵ国の選手団の入場を天皇陛下は直立不動の姿勢で見守った。取材していた米紙シカゴ・トリビューンのサム・ジェームズソン記者が言っている。「みんな座っているのに、天皇陛下だけだ立っていた。あんな光景は初めて見た

 

 

・多くの場所で歴史的な景観が失われた。最も醜悪なケースは日本橋だろう。日本橋は昔から東海道の起点であり、大きな市場でもあった。そんな東京のシンボルともいえる場所を、高速道路で塞いでしまったのだ。かつての東京は水路の町だったのに、その面影は永遠に失われてしまった。

 

 
・一方、今の東京は国際都市としての成熟が遅れている。公的資格を持つガイドや有能な通訳は不足し、海外のクレジットカードを使えるATMも少なく、しつこい客引きは多くて、無料のWi-Fiスポットは足りない。

 

 

・電車やバスはの運行は時計のように正確で、スカイラインは思わず息をの飲む美しさ。東京タワーや浅草寺ほど知られてはいないが、東京湾のレインボーブリッジから望む大都会の夜景は世界屈指だ。

 

 

・世界各国の料理が楽しめる東京は、比類なき食の都でもある(ただしイスラム教徒のためのハラール認証を受けた店はまだ少ない)。

 

イスラム教徒のためのハラール認証

 

 

・町は清潔で、大都市にしては非常に安全。一般論として、ニューヨーカーやパリジャンより東京っ子は親切で、道に迷った外国人には誰かが手を差し伸べる。タクシーや電車でなくした財布や携帯電話が、魔法のようにホテルに届くこともある。

  

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英語を勉強する人で、キリスト教信者でない人が知っておくべきこと~「聖書で読むアメリカ」

 

「驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらにしてもっているらしいことである。
(モース 明治時代)「日本絶賛語録 小学館」

 

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今回の記事では、「ディズニーランド」、「ハリウッド」、「ラスベガス」とは違った面のアメリカを紹介したいと思います。

「キリスト教の国」としてのアメリカです。

 

今回は、「聖書で読むアメリカ ( 石黒マリーローズ)」からから引用させてもらいます。
著者は、この本の中で、「英語を勉強する人でキリスト教信者でない人」に向けて、とても大切なことを述べています。

 

アメリカに興味がある人は、ぜひ、知っておいた方がいいと思うので、重要と思われるところを以下に抜粋しました。

 

・アメリカの記者たちは、本当によく世界共通語である英語で話します。しかし、聖書やキリスト教の考え方を知っていなければ、世界共通の精神を正しく認識することはできないでしょう。

私が言うのは、フランス人であろうとドイツ人であろうと、レバノン人であろうとギリシャ人であろうと、このような話の仕方を楽しんでおり、たいていの場合、それに応じた返答をしているということです。

新しいメディアや科学技術のおかげで世界はますます小さくなっているのですから、英語を勉強する人でキリスト教信者でない人は、キリスト教の習慣をもっともっとよく知ることが有利でしょう。

 

 

・日曜にプロテスタントの人が聖書を手に持ったり、バッグに入れて持って家を出ているのを見るのは当然です。

「よい書物(the Good Book)」とか、「書物の中の書物(the Book of Books)」ともよばれる聖書が、世界中の何億という人の日常生活となっていますが、キリスト教が生活の中に根付いているアメリカでは、もちろん、聖書は日常生活に欠かせません。

 

 

・アメリカの建国者である合衆国憲法制定者たち(founding fathers)は、聖書の原則に則(のっと)って建国しました。
聖書がこの国の基礎の重要部分です。多くの学校では聖書を教科書にして、歴史や文学などを教えているほどです。

 

・アメリカのモットーは、「One Nation Under God(神の下にある一つの国家)です。祈祷朝食会(Prayer Breakfast)というのは、アメリカの大統領が神をその生活の中心に置く機会です。

上院礼拝堂付牧師(Senate chaplain)が開式のはじめに祈りをし、上院議員たちで賢明な選択をするよう注意することが慣例となっています

 

・大統領候補者は、とにかく、イエス・キリストのことをあまりに多く話すので『政治家か説教者か(the politician from the
preacher)か識別し難い者がいる』とまで言われています。

 
(聖書をテーマにした映画「ナルニア国物語」について)

・2005年のイギリスの新聞ザ・タイムズ紙の記事の見出しは、「この映画では神が語られる(God will speak through this film)」となっていました。

 

・この1億5000万ドルの映画製作にあたっては、ディズニー社と、強力な霊的メッセージをつくり出すことを目指した敬虔(けいけん)なクリスチャンのオーナーを持つ、教育的関心の高いウォールデン・メディア社が公認・推奨しました。

 

・「アメリカの政治家たちは、祈りをとり戻すことについて議論するかもしれませんが、しかし、実際に多くの放課後の祈祷クラブのおかげで、祈りは既に大分部の学校に存在しています」というのが、1998年4月のタイム誌の「学校に祈りを入れて元気づける」と題する記事の副題でした。

 

・タイム誌によると、アメリカの公立学校では、四校のうちの一校というぐらい、多くの学校にこの祈祷クラブがあります。

 

・ボーイング社はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の信者労働者に、別々の研究グループがあります。マイクロソフト社の社員は、オンラインで祈りの会を開いています。

 

・トーラー研究グループのリーダー、ジェイ・イフが、株式取引所の職員について述べました。彼らは仕事が終わった後、あるいは昼休みに、祈ったり祈祷書を読むために集まります。

 

(2001年の9・11テロでの出来事について)

・2001年9月11日、ユナイテッド・エアラインズの飛行機がハイジャックされて国防省に向かって進んでいると知ったとき、乗客のトッド・ビーマーは、ユナイテッド・エアラインズの電話を扱っている電話会社GTEを呼び出し、交換手と一緒に主の祈りをと「詩編」第23章を唱えました。

「死の影の谷を行くともきも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭(むち)、あなたの杖、それがわたしを力づける」

 

・その同じ夜のブッシュ大統領の国民向けの哀悼演説にも、これと同じ聖句がありました。

「私は、『詩編』第23章の中にある時代を通じて語られている、私たちの誰よりも偉大な力のある方によって慰(なぐさ)めを与えられるよう祈ります。その『詩編』にはこうあります。

『死の影の谷を行くともきも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける』。おやすみなさい、そして神よ、アメリカを祝福してください」

 

・9・11同時テロが事件直後の議会の徹夜祈祷会で、ジョージア州選出のある民主党下院議員が行った祈りは次の通りでした。

「ああ神様、私たちは今夜心重く悲しみに沈んで、御前に来ました。今こそお助けください。
あなたは力強く、強力な神であられることを私たちは知っているからです。今このときにあなたが必要なのです。あなたの癒しの力が必要なのです。今夜こそ私たちに御目を注いでください。

・・・・神よ、御旨のままに、私たち国民を祝福してください。

おお、神様、特別にお願いします。どうか、世界貿易センターとペンタゴンの犠牲者たちの家族と愛する人たち、そしてペンシルヴァニア州で亡くなった人たちの家族のところへ来て共にいてください」

「今夜私たちは、消防士、警官たち、医師たち・・・のために祈ります。おお主よ、この途方もない悲嘆と絶望のときにあって祈ります。他に頼る者がいないのですから、今夜親愛なる主におすがりします。私たちの困窮のときにあたって恩寵を注いでください。

私たちにはあなたの助けが必要なのです。ああ、神よ、今、今まで以上にすぐに、私たちの祈りをお聞きください。ああ、神様、私たちはあなたの民です。あなたの子供です。私たちは傷ついています。

国民は傷ついています。国が傷ついています。おお、主よお助けください」

 

*教会の聖職者が言ったのではなく、アメリカの議会で議員がこう言ったことに驚きました。

アメリカでは常識的な発言なのでしょうが、日本の議員が国会で「神よ、仏よ。私たちの祈りをお聞きください」などと言うのは、ちょっと想像できませんね。

 

どうでしょうか?

アメリカという国は、キリスト教と本当に深く結びついていることが分かりますね。

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宣教師ルイス・フロイスが見た戦国時代の日本女性 ②

 

今回の記事は、前回に引き続き、「ルイス・フロイス」の目をとおして戦国時代の日本を紹介します。
まず、ルイス・フロイスとは、このような人物です。

 

 「1532~97 ポルトガルのイエズス会宣教師。1563年に来日。京都で信長に謁見、秀吉とも親しくし、キリシタン布教の地歩を固めた。追放令で退去後、再来日し、長崎で死去。『日本史』を執筆した(日本史用語集 山川出版)」

 

フロイスは、戦国時代の日本人の女性をヨーロッパ人の女性と比較して、以下のように述べています。
以下は、「フロイスの日本覚書 中公新書」からの抜粋になります。

 

・ヨーロッパでは、未婚女性の最高の栄誉と財産は貞操であり、純潔が犯されないことである。日本の女性は処女の純潔をなんら重んじない。それを欠いても、栄誉も結婚(する資格)も失いはしない。

 
・ヨーロッパの女性は、短い年月で白髪となる。日本の女性は、六十歳になっても、油を塗っているため白髪にはならない。

 

・ヨーロッパの女性は、芳香のある香料で頭髪をにおわせる。日本の女性は(頭髪に)塗った油のせいで、いつも悪臭を放っている。

 

・ヨーロッパでは、女乗りの大鞍(くら)もしくは腰掛で騎行する。日本の女性は、男子と同じ方法で騎行する。

 

・ヨーロッパの貴婦人は、自分と話をしに来た人と隠れることなく語らう。日本の貴婦人は、それらの人たちが熟知の者でなければ、屏風(びょうぶ)または簾(すだれ)の後ろから話をする。

 

・ヨーロッパの女性は、耳朶(たぶ)に穴をあけ、それに耳飾りをはめ込む。日本のの女性は、耳朶に穴をあけないし、どのような飾りもつけない。

 

・ヨーロッパの女性は、その(衣類の)袖が手首にまで達する。日本の女性の場合、それが腕の半ばにまでしか達しない。そして腕や胸を露(あら)わにすることを不面目とはみなさない。

 

・われらにおいては、ある女性が裸足で歩けば、狂人か恥知らずとみなされるであろう。日本の女性は、貴賤(きせん)を問わず、一年の大部分はいつも裸足で歩く。

*真冬でも、Tシャツという小学生の男の子は、昔いたけど・・・。

 
・ヨーロッパの女性は、宝石つきの指輪、その他の装身具を身につける。日本の女性は、何ら金銀製の装身具や宝物を用いない。

 
・ヨーロッパでは、夫が前方を、そして妻が後方を歩む。日本では、夫が後方を、そして妻が前方を行く。

 

・ヨーロッパの女性は、立派で整った眉を誇りとする。日本の女性は、ただの一本も残さぬように毛抜きで抜いてしまう。

 

・ヨーロッパでは、嬰児(えいじ)が生まれてきたのちに殺されることなどめったにないか、またはほとんどまったくない。日本の女性たちは、育てることができないと思うと、嬰児の首筋に足をのせて、すべて殺してしまう。

 

・ヨーロッパでは、女性は出産後は横臥して休息をする。日本の女性は、出産後は、20日間、昼も夜も坐していなければならない。

 

どうでしょうか?

戦国時代の日本の女性は、ヨーロッパの女性に比べたら、いろいろな自由や権利があったことが分かります。

ちょっと、意外な気もしますけどね。

 

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宣教師ルイス・フロイスが見た戦国時代の日本女性 ①

 

今回の記事では、戦国時代に来日した宣教師の「ルイス・フロイス」の目をとおして戦国時代の日本を紹介します。

まず、ルイス・フロイスとは、このような人物です。

 

 「1532~97 ポルトガルのイエズス会宣教師。1563年に来日。京都で信長に謁見、秀吉とも親しくし、キリシタン布教の地歩を固めた。追放令で退去後、再来日し、長崎で死去。『日本史』を執筆した(日本史用語集 山川出版)」

 

フロイスは、ヨーロッパ人の女性と日本の女性とを比較して、次のように記しています。
以下は、「フロイスの日本覚書 中公新書」からの抜粋になります。

 

・インドでは、下男が裸足で、降雨用もしくはよけよ用の傘をさしかける。日本では、女性たちがたがいに傘をさしかけあう。

*「たがいに傘をさしかけあう」ように親しむことは、今の女子高生もやってそうですね。

 

・ヨーロッパでは、夫婦間において財産は共有である。日本では、各々が自分の分け前を有しており、ときには妻が夫に高利で貸しつける。

*ボクの周りは、妻からのお小遣い制ばかり。さすがに、夫に高利をつけてお金を貸す鬼嫁はいませんね。

 

・ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪であることはともかく、最大の不名誉である。日本では、望みのまま幾人でも離別する。彼女たちはそれによって名誉も結婚(する資格)も失わない。

 

・(ヨーロッパでは)堕落した本姓にもとづいて、男たちの方が妻を離別する。日本では、しばしば妻たちの方から夫を離別する。

 

・ヨーロッパでは、娘や処女を(俗世から)隔離することは、はなはだ大問題である、厳重である。日本では、娘たちは両親と相談することもなく、一日でも、幾日でも、ひとりで行きたいところに行く。

*今の日本でも、渋谷とか道頓堀にいそうです。

 

・ヨーロッパでは、妻は夫の許可なしに家から外出しない。日本の女性は、夫に知らさず、自由に行きたいところに行く。

*今の日本では、さすがにこれはない。戦国時代の女性は自由すぎます!

 

・われらにおいては、女性が文字を書く心得はあまり普及していない。日本の貴婦人においては、もしその心得がなければ格が下がるものとされる。

*「女性が文字を書くことができた」という国は、当時の世界でも本当に少ないと思います。
・ヨーロッパでは、通常、女性が食事をつくる。日本では、それを男性がつくる。そして貴人は、料理をつくるために厨房に行くことを立派なこととみなしている。

*これは、意外でした!
・ヨーロッパでは、男性が高いテーブルで、そして女性が低いテーブルで食事をする。日本では、女性が高いテーブルで、男性が低いテーブルで食事をする。

*現在の日本でも、妻を怒らせた夫はこうなりますね。

 

・ヨーロッパでは、女性が葡萄酒を飲むことは非礼とされる。日本では(女性の飲酒が)非常に頻繁であり、祭礼においてはたびたび酩酊(めいてい)するまで飲む。

*安心してください、フロイスさん。今の日本でも同じですよ。
大学の歓迎コンパでベロンベロンに酔った女性をよく見ました。

 

・ヨーロッパでは、女性は立ち上がって客を迎える。日本の女性は、坐ったままで迎える。

*まあ、畳の国ですから。
・ヨーロッパの女性は、通行の際に人に見られぬようにヴェールをかぶる。日本の女性は、道を行くとき、タオルをかぶり、その両端を顔の前で結ぶ。

*ダチョウ倶楽部か!

 

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外国人から見た日本と日本人、ザビエルが見た戦国時代の日本

上の画像は、ウィキペディアから。

 

今回の記事では、戦国時代に来日した宣教師の「フランシスコ・ザビエル」の目をとおして戦国時代の日本を紹介します。

 

フランシスコ・ザビエルは、もう中学校の教科書でおなじみの人物ですよね。
でも、ザビエルがどのような日本を見ていたかは、あまり知られていないのではないでしょうか?

 

というわけで、戦国時代の日本とともに、フランシスコ・ザビエルという人物にもせまっていきたいと思います。

 

以下の文は、「ザビエルの見た日本 講談社学術文庫」からの抜粋になります。

 

・日本人は、話がわかれば神のことについてむさぼるように耳を澄まして聞きます。私がこれまで会った国民の中で、キリスト教徒にしろ異教徒にしろ、日本人ほど盗みを嫌う者に会った覚えはありません。

 

・大抵の日本人は字が読めるので、私たちの教会の祈りもすぐ覚えます。

 

・ここにはおいしいものが何もないのです。
いくら食べたいと思っても肉体を満足させるものは全然ありません。ここに住んでいる人びとは決して鳥を殺して食べたりせず、常食は野菜と米で、小麦も、魚も、リンゴも、そのほかの果実も、ここではぜたいく品になっています。

 

・日本人はとても気立てがよくて、驚くほど理性に従います。昔からのやり方がまちがっていて神のおきてが正しいのだということを彼らははっきり悟りました。ただ、自分たちの王を恐れるあまりキリスト教に帰依しないでいるのです。

 

*ザビエルが鹿児島を離れることになったときのこと。

・私たちは信者に別れを告げました。彼らはみな私たちが大好きで、あれほど苦労して永遠の救いに至る道を教えてくれたことに対して涙をこぼして感謝しました。

 

・多くの者はキリストのすばらしい行いの話に吸い込まれるように聞き入りました。キリストの過酷な死の話になると彼らは涙を抑えることができませんでした。しかし実際にキリシタンになった者はほとんどありません。

 

・ミヤコは昔は大都市でした。しかし戦乱が続いて悲惨なことが重なったためにどこもかしこも荒れ果ててしまいました。

 

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・日本人は生まれながらにして好奇心が旺盛で、どこの国の人々も同様に何でも知りたがります。質問と解答について始終ほかの人々と話し合っています。彼らは何でも新しいこと、特に宗教のことが聞きたくてたまりません。

 

 

・キリシタンは信じられないほど私たちを大切にしてくれます。始終私たちの家に来て、なにか手伝えることはないかと尋ねます。 日本人はもともと親切な国民ですが、中でもキリシタンはとてもよい人びとです。彼らほど親切で思いやりのある者はどこにもいないのではないでしょうか。

 

・日本人はどの国民より何ごとでも道理に従おうとします。日本人はいつも相手の話に聞き耳を立て、しつこいほど質問をするので、私たちと論じ合うときも、仲間同士でで語り合うときも、話が全く切りがあません。彼らは地球が円いことを知らず、また、太陽と星の動きについても何も知りませんでした。

 

・私たちが彗星や稲妻や雨の原因について説明すると、彼らは私たちの話に夢中にって楽しそうに聞き入り、私たちをたいへん偉い学者だと思って心から尊敬しました。

 

・私は日本人に口では語り尽くせないほど恩を受けています。日本人を通して主は私の心を照らし、私数えきれないほど多くの罪を犯していることに気づかせてくださいました。

 

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・いくら繰り返しても足りなのは、同志の者たちが予想以上に試練と葛藤に耐えていかなければならないことです。しつこく質問しに来る者たちが昼も夜も跡を絶たず、解放されることはほとんどありません。

 

・この人びとの欠点の一つは、外国人の時間を、特に遠方から来る者たちの時間を平気で取り上げることです。別に悪気はなく、迷惑をかけるつもりも全然ないのですが、相手をばかにしたりみだらな口を利いて相手をからかったりすることはくあります。

 

・聖徳に秀でた神父を日本へ派遣していただけることを力とも慰めとも思っています。その主な動機の一つは、日本の国民が今この地域にいるほかのど国民より明らかに優秀だからです。

 

・日本では厳しい寒さに苦しまなければなりません。寒さをしのぐ方法はほとんどありませんし、体を休めるような寝床さえないことがよくあります。

 

・この地域の厳しい寒さとそのほかの試練に耐えるには当会のベルギー人の司祭、あるいはドイツ人の司祭が適していると思います。
 どうでしょうか?

 戦国時代の日本の様子やザビエルがどのような思いでキリスト教の布教活動をしていたかが、何となくでも見えてきたのではないでしょうか?

 

 ちなみに、これらのザビエルの言葉は、ザビエルがローマのイエズス会に送った手紙の中にあるものです。当然、日本人にではなく、ローマのヨーロッパ人に向けて書いたものです。

 

 ですから、テレビ番組でよくやるような、外国人が言う「ニホンハ、スゴイデスネ~」というお世辞はなく、ザビエルが見て聞いて感じたことをそのまま文にしたものだと思います。 

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外国人に必要な配慮とは?② ~外国人に日本を説明すること~

 

前回の記事で、2020年の東京五輪・パラリンピックについての読売新聞の記事を紹介しました。

 

「外国人向けの地図で、寺院の地図記号は「卍」が、ナチス・ドイツのマークを連想させるという意見が多数寄せられたため、三重の塔のデザインとした」

 

という内容のものです。

この記事を読んで、こんなことを思いました。
「『卍』は変えずにそのままにして、『卍』の説明文を添えればいいんじゃないの?」

 


それが、欧米人の考え方にも沿っていると思うからです。

2012年2月24日のニューズウィークという雑誌に、「ヒトラー『わが闘争』今さら出版する訳」という見出しで、次のような内容の記事がありました。

 

「世界中で忌み嫌われるナチスの独裁者アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』。反ユダヤ思想に満ちたこの本の抜粋に解説を付けて、英出版社アルバルタスがドイツで出版する」

 

欧米では、ナチスに関するものはタブーとされているので、街で鉤十字などナチスを連想させるものを見ることはないと言います。

 

ナチスを連想させるどころか、ヒトラーのユダヤ人差別思想をそのまま伝える「我が闘争」になると、大きな問題になり、このようなニュースになります。

 

このことについて、毎日新聞の記事(2016年1月9日)に、このようなものありました。
「ヒトラー「わが闘争」再出版 戦後発禁の著書」という見出しの記事です。
大よそ、このような内容です。

 

・第二次大戦後、事実上出版が禁じられてきたナチスの独裁者ヒトラーの著書「わが闘争」がドイツで再出版されることが決まった。

・この本は、「ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で知られるナチスのイデオロギーの柱になった著書(同記事)」というもので、これをを読んだ人が、ヒトラーの考えに感化されて、ユダヤ人など外国人差別を助長させる可能性がある「危険な書」でもある。

・そのため、この本をそのまま出版させるわけにはいかず、780ページ程度の原作に、膨大な注釈(補足的な説明・解説)を付けたために、約2000ページの本になっている。

 

原作の3倍近い量の注釈を必要とする本というのもすごいですね。
ですが、この本の影響を受けて人種差別思想をもたないようにするためには、絶対に必要な処置なのでしょう。

 

それほど危ない本なのだから、「出版しない方がいい」という意見もありましたが、ドイツでは再販が決められました。

 

このことをどう思うか、アメリカ人、イギリス人、フィリピン人に聞いてみました。
彼らは関心の差はあるけれど、ナチスのことや「我が闘争」の再販のニュースは知っていました。

 

彼らにしてみれば、「地図記号が「卍」から三重塔になる」ということより、「我が闘争が出版される」ということの方に関心があると思います。
逆に、日本では、この本の出版よりも地図記号の変更の方が関心が高いと思いますけど。

 

友人たちはみんな、「我が闘争」の再出版には賛成でしたね。
イギリス人は、こんな風に言っていました。

 

「出版した方がいい。ナチスのホロコースト(ユダヤ人虐殺)は、ナチスドイツだけの責任ではなく、ヨーロッパ全体の責任だ。その悲劇を起こさないためには、ヒトラーの考えを知っておいた方がいい。知らないでいることは良くない」
つまり、「『わが闘争』は、出版することより、出版禁止にするほうが危ない」ということですね。

 

一般に、欧米ではナチスを連想させるものは危険視されていて、タブーになっています。
でも、このように「正しい説明を加えたものなら、世に出してもいい。むしろ出すべきだ」という考えもあります。

 

前回のボクの体験と、欧米のこうした考え方から、「『卍』のマークに注釈(説明)を付けて地図に載せたらいいのに」と、思ったわけです。

 

「ナチスを連想させるから、卍をやめて三重塔にしよう」というのではなく、そのまま「卍」にしておく。
でも、説明を加えて「卍」についての外国人の認識を正しいものにしていく。
これが、外国人への配慮になると思います。

 

それに、日本中の卍を変えることは不可能ですし、いずれどこかで外国人が卍を見ることになると思います。

 

東京オリンピック東京オリンピックで、外国人に「正しい卍の意味を伝える」ということが、後々、いろいろなところで活きてくると思うのですけどね。

 

まあ、この地図記号の変更には他にも理由があるのかもしれませんけど。
ということで、「外国人に必要な配慮」とは、日本のことについて誤解することがないように、日本のことを正しく伝えること、だと思います。

 

でも、そのために一番大事なことは、日本人が日本のことを正しく知っておくことですね。
このブログでいろいろ書いているのも、「そのお役に立てれば」という気持ちがあります。

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外国人に必要な配慮とは?① ~外国人と卍と仏教のお寺~

 

今、日本に来る外国人が急増しているようです。
2015年には、2000万人近くの外国人が日本を訪れています。
ようこそ!

 

この傾向は今後も続くと予想されています。
ということは、日本人が外国に行かなくても、国内で外国人と接する機会はきっと増えますね。
外国人と友だちになって、その外国人をどこかへ連れて行く機会もきっと出てくると思いますよ。

 

先日、知り合いになっばかりのトリニダードトバゴ人が、「お寺に行きたい」と言うので、彼女をお寺に案内しました。
そこで、彼女があるもの見て、絶句してしてしまいました。

 

お寺にあった「卍」のマークを見つけたのです。
「あれはナチスの鉤十字じゃない!」と驚いて言いました。

 

さて、こうした場合、あなたなら何て言いますか?
日本に来てまだ日が浅い外国人をお寺に連れて行ったら、けっこうな確率で起こることだと思いますよ。

 

昨日の読売新聞で、こんな記事を見つかました。

「『卍』ナチス連想で三重の塔に…外国人向け記号(2016年01月13日)」というタイトルの記事です。

 

「2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、国土地理院は「外国人向け」の地図で使用する地図記号を新たに作ることを決めた」

新たな記号では、卍が変更されているということです。

 

 「観光地が多い寺院の地図記号は「卍」だが、ナチス・ドイツのマークを連想させるという意見が多数寄せられたため、三重の塔のデザインとした」

 

最近、ブログ「ニュージーランド人『マジかよ!日本じゃ、これが許されてるのか? 』」という記事でも、「卍」と「ナチスの鉤十字」のことを書いていたので、興味深くこの記事を読みました。

 

 

さて、この「卍」のマークですが、これを変える必要があったと思いますか?
まあ、もう「変えた」と結論が出ているんですけどね。
でも、改めて考えてみる価値はあると思いますよ。
で、ここからは個人的な意見になります。

 

私は、変えなくても良かったと思いますよ。
地図に「卍」を載せて、その横にでも説明をつけておけばいいのではないかと。

 

 

外国人、特に欧米人に対する配慮というのなら、「見えなくする」のではなく、「見せる。そして、適切な説明を加える」ということが大事だと思います。

こう思ったことのは、二つ理由があります。

 

まずは、私の今までの経験によるものです。

私はこれまでに、イギリス人、アメリカ人、フィリピン人、インド人、トリダード・トバゴ人などを日本のお寺に連れて行ったことがあります。
すでにお寺の「卍」を見たことがある人もいれば、初めて見て目を丸くした人もいます。

 

こんななとき、私の場合は、卍について簡単に説明します。頼りない英語ですけど。

 

まず、「卍」の意味ですが、これは「大辞泉」によると、「仏の胸など体に現れた吉祥の印(大辞泉)」とあります。

 

この、吉祥(きちじょう)とは、「めでたい兆し」のことで、英語の辞書をひくと、「good」「happy」「lucky」などの言葉が出てきます。
仏教のシンボルなのだから、悪い意味のはずがありません。

 

つまり、「卍」には、「good」「happy」「lucky」の意味があり、ナチスの鉤十字とは、まったく反対のものだ、と話します。
このくらいの説明でも、「ああ、なるほど」と、彼らは意味を理解して納得してくれます。
むしろ、日本での卍の意味を知って「サンキュー」という人もいました。

 

要は、彼らが日本(中国・韓国・インド)での「卍」を正しく知って、それがナチスの鉤十字ではないことを理解すれば問題はないと思います。

 

卍を見ても、ナチスではなく、「good」「happy」「lucky」を連想するようになれば、okですね。
ついでに、こんなことも話します。
一万円札の「万」という漢字は、もともとこの「卍」からできたんだよ、と。
これで、卍を嫌いになるはずがありませんね!

 

まったくボクの個人的な経験ですけど、「卍」に関して外国人への配慮を考えるのなら、正しい情報を伝えて、彼らの認識を変えてもらう方がいいですよ、きっと。

 

それに、こうした考え方は、外国人からも支持されると思います。
その理由を、次回、毎日新聞の記事からお伝えします。
「ヒトラー「わが闘争」再出版 戦後発禁の著書(2016年1月9日)」という記事です。

 

これは、欧米人の価値観や考え方がよく表れている事件だと思います。

 

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「戦争はしません」の結果、第二次世界大戦へ~チェンバレンの宥和政策とチャーチル~

 

「ニューズウィーク2016.2.2号」に、興味深いコラムがありました。
「独裁者から世界を救った名宰相チャーチルの死」というタイトルのもです。
それを読んで、第二次世界大戦が起きた意外な理由があったことを思い出したので、今回はそれについて書いてみたいと思います。

 

チャーチルという人や第二次世界大戦が起きた理由を知っておいてきっと損はないはずです!

 

以前、イギリス人の友人に、「イギリスで最も尊敬されている人物は?」と聞いたところ、真っ先にこのチャーチルの名をあげていました。何の迷いもなかったですね、即答でした。
そのチャーチルとは、こんな人物です。

イギリス保守党の首相(在位1940~45、51~55)。早くからナチスの強大化を警戒し、宥和政策を批判していた。1945年5月、チェンバレンにかわって首相に就任、ローズヴェルト・スターリンとともに連合国の指導者として活躍した(世界史用語集 山川出版)

 

 

以下の文は、先ほどのニューズウィーク誌(2016.2.2号)のコラムからの抜粋になります。

 

・1人の人間の死が時代の終焉を告げることなど、そうあることでは」ない。1965年1月24日、90歳でなくなったイギリスのウィンストン・チャーチル元首相は、第二次世界大戦という困難な時代を切り抜け、歴史のページをめくった大きな光のような存在だった。
・「彼の名は英語が話され続ける限り生き続ける。ウィンストン・チャーチルは史上最も偉大なイギリス人だったと言っても過言ではなく、言うのに早過ぎるということもない」

 

・39年、ヒトラーが率いるナチスドイツがポーランドに侵攻して大戦が始まると、チャーチルは首相に就任。チェンバレン前首相の宥和政策を退け、勝利に向け全力で戦うことを誓った。

 

・イギリスは英本土上空の戦い「バトル・オブ・ブリテン」でドイツ空軍を撃退。連合軍は44年フランスに上陸し、45年5月にドイツを降伏させた。戦後の世界にとって、ファシズムと真正面から戦い続けたチャーチルはあの戦争を終わらせてくれた恩人でもあった。
・人が死ぬのは人々の記憶から忘れられたとき、という言葉がある。チャーチルは死半世紀がたつ今も、イギリスだけではなく世界中から愛され尊敬されている。

 

・今年発行されるイギリスの新しい5ポンド紙幣には、チャーチルの肖像が採用される。世界を独裁者から救った偉大な宰相からすれば、当然の勲章だろう。

 

先ほどの世界史用語集や以上の抜粋の中に、「チェンバレン」と「宥和政策」という言葉が出てきています。

これは、ご存知でしょうか?
この言葉を説明する前に、第二次世界大戦はなぜ起きたかを確認しておきましょう。
「世界史用語集」には、第二次世界戦の開始について、次のような説明があります。

 

1939年9月1日にドイツのポーランド侵攻に対し、ポーランドの同盟国のイギリス・フランスが9月3日、ドイツに宣戦布告したことから始まった(世界史用語集 山川出版)

 

一言でいえば、「ドイツのポーランド侵攻が原因」ですね。一般的には、これが正しい答えです。

 

ただ、「ドイツにポーランドを侵攻させた」ことについては、他に原因があります。今回の記事では、それを紹介したいと思います。
それが、チェンバレンの宥和政策です。

 

まず「ネヴィル=チェンバレン」という人物について。

イギリス保守党の首相(在位1869~40)。ドイツ・イタリアに対し て宥和(ゆうわ)政策で対応した。ミュンヘン会談で、戦争回避のためにヒトラーの要求を認めたが、第二次世界大戦を防げなかった。戦争指導に対し、党内からも不信の声があがり。1940年5月に首相を辞任した(世界史用語集 山川出版)

 

彼の後に、首相になったのがチャーチルです。
先ほどのコラムで、「世界を独裁者から救った偉大な宰相」として、絶賛された人物です。
チャーチルは、チェンバレンがとったこの宥和政策が間違っていると批判をしていました。

宥和政策とは、一般的に次のようなものをいいます。

妥協点を探り、協議と譲歩によって衝突をさけようとする政策(世界史用語集 山川出版)

チェンバレンがとった宥和政策とは、イギリスとドイツとの戦争を避けるために、ヒトラーに協議と譲歩で臨んだことを言います。

 

これとその後の推移を、イギリス人の視点から見てみましょう。
以下は、「あらすじで読む英国の歴史 (ジェームズ・M・バーダマン)」から引用しました。

「ドイツが隆盛し始めるた数年間、そもそもイギリスはこの国に干渉するつもりなどはまったくありませんでした。外交官たちは、可能な限り争いを避けようとしていたのです。そうした宥和政策の典型は、1938年のネヴィル・チェンバレン首相とヒトラーとの会談でした。ヒトラーに譲歩すれば、ドイツはこれ以上領土を要求することはなくなるだろうと見込んだチェンバレンは、彼の要求のほとんどすべてを容認したのです」

 

「ドイツとの戦いを避け、平和的な手段で問題を解決できた」と確信したチェンバレンは、イギリスに帰国後、「われらの平和」を高らかに宣言しました。

その結果、次のようなことが起来ました。

 

「6カ月後、ヒトラーはこれを破棄し、チェコスロヴァキア全土を占領したのです。イギリスはすぐさま再武装し、ヒトラーに対抗する国々と同盟を結び始めました。最終的にイギリスはフランスを含めた連合国軍に参加し、のちにそこにはアメリカ合衆国とソビエト連邦が加わりました」

こうして第二次世界大戦が始まったことは、先に書いたとおりです。
この本で、著者のイギリス人は、ネヴィルチェンバレンをこう評価しています。

 

「就任後の外交面では弱腰な姿勢が目立ち、宥和政策を敢行(かんこう)したことがかえってヒトラーを増長させ、結局第二次世界大戦を誘引(ゆういん)することになったのです」

世界史用語集には、「戦争回避のためにヒトラーの要求を認めたが、第二次世界大戦を防げなかった」と書いてありました。
ですが、このイギリス人の観点からすると、「戦争回避のためにヒトラーの要求を認めたために、第二次世界大戦を引き起こした」ということなっていてます。

 

現在のイギリス人の多くも、これと同じ見方をしていると思います。

大学で歴史を専攻していたイギリス人に、チェンバレンの宥和政策について聞いてみたことがあります。

 

「あれは、完全に間違っていた。あのとき、イギリスは、戦争だけはしたくないと考えていて、臆病になっていた。もっと早くナチスドイツを叩いておくべきだった。チャーチルがいなかったら、イギリスはナチスドイツのものになっていたはずだ」
つまり、「ドイツが強大化する前に、イギリスやフランスはドイツを叩いておくべきだった」ということを言っていたのです。
確かに、そうしたら、救うことができた命 もあったかもしれません。

 

あくまでも平和を求めて、戦争を避けようとしたために、結果として、戦争を招いてしまった。
多少、皮肉な言い方ですけれど、それも正しい見方だと思います。

 

チェンバレンの宥和政策を批判して、ドイツと戦ったチャーチルが、イギリスで最も尊敬される政治家になっています。
このことからも、この考え方、は多くのイギリス人から支持されているだろうと思います。

 

もちろん、対立が起きたときは、武力でなく、話し合いなど平和的な手段で解決することが一番の理想です。
戦争を避けて平和を求めることは、あまりに当然のことです。
ただ、結果として、それが原因となって戦争を招いてしまうことがあります。現実に、そうしたことが歴史にありました。
現実の世界には、平和的な手段で解決できる相手とできない相手がいます。

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インド大反乱・太平天国の乱、暴力 or 英雄的行為?

 

以前、別のブログで、「インド大反乱」と「太平天国の乱」について触れました。

日本という「アジアの光」①~インドネシア・フィリピンなどからアジアから見た日露戦争~

 

今回は、この二つの出来事をもう少し掘り下げて伝えていきたいと思います。
インド大反乱も太平天国の乱も、結局は武力衝突です。
だから、当然、多くの人間の命がなくなってしまいました。

 

悪い見方をすれば、「大量の人が殺されることになった暴力行為」と言うこともできると思います。

 

こうしたことを知ると、以前の私だったら、「武力に訴えるのではなく、話し合いなど、平和的な方法で解決できなかったのか」と、ついつい思ってしまいました。

 

19世紀の出来なんですけどね。
21世紀には21世紀の常識があるように、19世紀には19世紀の常識があります。19世紀に生きた人は、その時代の常識にしたがって行動します。

 

それが当たり前のことなのに、自分は、21世紀の日本の常識から19世紀の出来事を見てしまっていたなあ、と思います。

 

現在のインド人や中国人は、19世紀にした彼らの行為を支持しています。

 

多くの人が殺されることになったインド大反乱(シパーイーの乱)や太平天国の乱を、現代のインドや中国は、愛国的な行為であり、「正しいこと」であると認識しています。

 

その認識は、それぞれの国の歴史書を見ると分かります。
中国の歴史教科書では、太平天国の乱を以下のように記述しています。
「その輝かしい功績は、中国人民が奮闘しつづけることを永遠に激励するであろう(中国の歴史 中国中学校歴史教科書 明石書店)」

 

まあ、中国ではこの乱について、「西洋への抵抗」ということより、「清への抵抗」ということを重視していますけどね。

 

また、インド大反乱について、インドの歴史家は次のように述べています。


「何百もの農民、職人、兵士が一年以上にわたって果敢に戦い、その模範的な勇気と犠牲によって、インド人民の歴史に輝かしい一章を書き残した(近代インドの歴史 山川出版)」


「ジャマー・マスジッド(ウィキペディアより)」

 
「デリー市内最大のモスクであるジャマー・マスジッドの前までイギリス軍が侵攻してくると、白いローブを着て、殉教者のような服装をした夥(おびただ)しい数のムスリムが中から走り出してきて、イギリス人と猛烈に戦い、殺された。

白装束の彼らは銃を使わず、太刀を振りかざして戦い、次々と殺されていった。それはまるで儀式の執行にように見えた。これがデリーにおける聖戦士の集団の最後であった(インド大反乱一八五七年 中公新書)」

 

これら中国とインドの歴史書には、「この争いは、多くの人命が失われた暴力的行為だった」、「平和的手段で解決すべきだった」などという表現も、それを匂わせる記述もありません。

 

「人の命が失われた」という面ではなく、国のために行った「英雄的な行為だった」という面を重視しています。

 

ボクが今まで旅行してきた国では、国のために戦ったことは、多くの命が失われても、その行為が失敗に終わったとしても、「正しい行いだった」と考えられていました。
それが、「世界の常識」なのかもしれません。

 

一つの出来事のどこを見るかで、当然、見え方も違ってきます。

 

私には、中国やインドへの愛国心はありません。
だから、「多くの人の血が流れた」ということに目がいって「暴力行為」のように見えてしまったと思います。

 

ですが、中国やインドでは、彼らの愛国心に着目して「偉業であった」と見ています。

 

愛国心を抜きにしても、現在の中国人やインド人が、19世紀の中国人やインド人たちに、「平和的に解決しろ」とは求めないでしょうね。

 

19世紀の人間に、「インド大反乱」や「太平天国の乱」といった武力に訴えるのではなく、話し合いで問題を解決しろ、というのは、あまりに現実味に欠いています。

 

その当時の西洋諸国が、中印の代表者と話し合いに応じて、その内容に合意し、ただちにインドや中国から出て行く、ということは考えられません。

 

ですが、先ほども言ったように、以前の私は、この時代のことであっても、「話し合いによる平和的な方法で解決できなかったのか」と考えてしまっていました。

 

これはとても、ムリですね。
19世紀のインド人や中国人に、「21世紀の日本の価値観や常識にしたがって行動しろ」と、求めるようなものです。

 

だから、この時代であれば、武力に訴えることもやむを得なかったのではないか、と今は思っています。
過去の出来事を見るときは、意識しないと、ついつい現在の日本の常識から見てしまいがちになると思います。

 

その当時の常識やそこに生きる人の視点をふまえて、その出来事を把握することが大事ですね。

 

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